東映映畫 「男たちの大和/YAMATO」 ロケ現塲

廣島縣尾道市向島 日立造船向島船渠内

映畫は CG を驅使して撮影されてをり、ロケセットで再現されてゐるのは、艦首部分(上の寫眞)、司令塔、第二主砲塔、第一副砲塔、左舷高角砲群、機銃群のみで、第一主砲塔、艦橋、煙突等は 総て CG で合成撮影されたと謂う。

船渠内のロケ・セットとは謂へ、建築基準法の制約を受け 第一主砲塔、第一艦橋等は建造が許されなかったとの事。

第一副砲塔

六十口徑三年式十五糎五 三聯裝砲塔 (膅徑 155 m/m)

大正三年 (1914) に 六十口徑三聯裝砲塔が設計されてゐたと謂うことが 大きな驚きである。  三年式十四糎砲が 毘 式ビ しき (Vickers Ltd.) 六吋砲の scale down であったのに比し、この十五糎五砲身は 外観形状に 安 式アンしき (Sir W.G. Armstrong Whitworth & Co., Elswick, U.K.) の影響を色濃く残してゐる。

第二主砲塔

四十五口徑九四式三聯裝四十糎砲 (膅徑 460 m/m)

昭和九年 (1934)  計算圖表學の泰斗 谷村豊太郎海軍造兵中將の設計になる この世界最大の四十六糎砲身は 傳統的 安式、毘式から抜け出して 谷村豊太郎工學博士獨自の設計思想が 砲身形状に現れてゐる。

(参 考) 四十五口徑三年式四十糎砲 (膅徑 16 inches ≒ 406.4 m/m)

「軍艦 陸奥」から引き揚げられたもので 聯裝四番主砲塔左。 砲身形状に 安式の影響を色濃く残してゐる。

(呉市海事歴史科學館 屋外展示)

四十口徑八九式 (1929) 聯裝十二糎七高角砲 (膅徑 5 inches ≒ 127 m/m)

高角砲としては 防空直衛驅逐艦「秋月型」に搭載された 新式の長口徑高角砲、六十五口徑九八式 (1938)聯裝 十糎 (膅徑 100 m/m) と 六十口徑九八式八糎 (膅徑 3 inches ≒ 76.2 m/m)砲があったのだが 膅徑を優先して 五吋砲を採用している。 四十口徑では さぞや命中率は低かったであろう。

九六式 (1936) 二十五粍三聯裝高角機銃

佛蘭西 HOTCHKISS社 (保 式)の設計になる國産品。 當初 九三式 (1933) として十三粍を國産化、引き續き昭和十一年から二十五粍を横須賀海軍工廠造兵部で製造したもの。 寫眞 眞ん中のものが「掩蓋付」、両端のものは映畫撮影用にシールドを取り外したもの。

單裝二十五粍、聯裝十三粍には掩蓋がなく、主砲發射の時は機銃員は艦内に待避することになってゐた。  主砲と機銃が同時に發射する塲面は想定されてゐなかったことと、主砲發射の爆壓で 小動物なら内蔵破裂で壓死、人間でも鼓膜、眼球に重大な損傷が豫測された爲だと。

呉市海事歴史科學館

廣島縣呉市 通稱 大和ミュージアム

十二糎七 (5 inches)高角砲彈 と 二十五粍高角機銃彈

五吋高角砲彈の装彈重量は 32 kgs。 二十五粍機銃彈の彈丸重量は 250 grm。

(2006/04/10 掲載)



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