こういうお方が 長年 「直木賞選考委員」をなさってをられたのです!!

2018年5月26日 入寂、享年 89 歳

                南無阿彌陀佛、合 掌 


下天は夢か! 「引用」 と 「盗用」 のはざま

  売れっ子作家 津本 陽 「八月の砲声・ノモンハンと 辻 政信」の塲合。 

時代物を書かせれば常に評判となる この直木賞作家にも、司馬遼太郎の手におえなかった「ノモンハン」を書くには ちと荷が重すぎたか。

文中「戰闘詳報」や「小松原日記」を引用しながら 戰闘の詳細を丹念に追ってゐる。
しかし 大部分は牛島 康允やすちか著「ノモンハン全戰史」(自然と科学社 1988年4月) からの引用で、原典に当たった上で 自分自身の言葉で書いたものではありますまい。
 
牛島書からの引用の手法と 修 辞レトリックは実に巧妙かつ見事であり、この売れっ子作家の得意の技法だとみた。
 
一例を挙げてみよう。 七月初旬、砲兵團戰線投入の塲面(P-341);
 
『日本陸軍の保有する野戰重砲兵は、五個旅團と一個聯隊であった。 そのうちから野戰重砲兵第一聯隊と第七聯隊という、自動車編成の最新装備の部隊を派遣するのである。 砲兵團では、蘇蒙軍砲兵は三時間で撃滅され、射撃目標はすべて消滅すると豪語していた。 それは、單なる思いこみに過ぎなかった。 何の客観的裏付けもない、井底せいてい痴蛙ちあの夢想であった。』
 
この部分、牛島書の原文は(P-247);
『当時、日本が保有していた野戰重砲兵は、五個旅團と一個聯隊であった。 その中で、野戰重砲兵第一聯隊と第七聯隊という日本で最新式の自動車編成による虎の子部隊を派遣するものであって、砲兵團の見解によれば、三時間で蘇蒙軍砲兵は撃滅され、射撃目標は無くなってしまうと自負していた。 自負するに足る客観的理由があった譯ではなく、あったとすれば井の中の蛙、無知である。』
 
実に見事な 引用手法を用いた 修飾家rhetoricianではないか。
 
列挙すれば際限ないが、もう一つ指摘してみよう。 辻 政信の面目躍如たる謀略だとの疑いをもたれている七月十六日の「富拉爾基フラルキ爆撃」に係る記述。
先ず 牛島書(P-233)からの抜粹;
 
『初めに辻ノモンハンを見よう「突如として”フラルキ鐵道橋爆撃されたり”との緊急電報を受けたのは、七月十六日午前三時であった。 地獄の釜の蓋も開き生霊が家に歸るというお盆の日、この凶報は地獄への導きにも感ぜられた。 ・・・ ホロンバイルの砂漠に起こった戰火が、大興安嶺を越えて北満の中心部に擴大されたのである。 これでも尚、東京は關東軍に、事件擴大の責任があると非難するのか。 投弾は八發で、被害は大して大きくはなかったが、一般に與へた影響は、物的損害の比ではなかった。 全面戰争になる可能性が頗る強いとの印象 ・・・」と述べている。
資料關東軍によると「七月十六日早暁前、チチハル南西方フラルキの鐵道橋が爆撃されるという事態が起こった。 それは、わずか一機一弾に過ぎなかったが、關東軍作戰課の受けた衝撃は大きかった」と述べている。 この同種同様の二つの資料ですら、「一機一弾」と「一機八弾」との八倍差がある。 次に當時の朝日に掲載された關東軍報道部十六日午後五時發表では「十六日午前三時三〇分頃、外蒙蘇聯爆撃機は、不法にも満領内に侵入して來り、富拉爾基附近に爆弾八個を投下して、満露人家屋各一を破壊し、重軽傷者七名を出せり」となっている。
同紙はチチハル特電として「單機または二ー三機で夜陰に乗じ滿洲内に入り込み、十六日午前三時三〇分チチハルを距る滿洲フラルキに蘇聯SB爆一機現れ盲爆をして逃げ去った」としている。』
 
これが津本本つもとぼん (P-349 - 350) では次の様になってゐる;
 
辻は自著『ノモンハン』に記している。 「突如として”フラルキ鐵道橋爆撃されたり”との緊急電報を受けたのは、七月十六日午前三時であった。 地獄の釜の蓋も開き生霊が家に歸るというお盆の日、この凶報は地獄への導きにも感ぜられた。 ・・・ ホロンバイルの砂漠に起こった戰火が、大興安嶺を越えて北満の中心部に擴大されたのである。 これでもなお、東京は關東軍に、事件擴大の責任があると非難するのか。 投弾は八發で、被害はたいして大きくはなかったが、一般に與えた影響は、物的損害の比ではなかった。 全面戰争になる可能性が、すこぶる強いとの印象 ・・・」
『資料關東軍』には、つぎのように記述されている。
「七月十六日早暁前、チチハル南西方フラルキの鐵道橋が爆撃されるという事態が起こった。 それは、わずか一機一弾に過ぎなかったが、關東軍作戰課の受けた衝撃は大きかった」
この二つの資料では、一機一弾と、一機八弾の差がある。
さらに朝日新聞に掲載された、關東軍報道部十六日午後五時發表では、
「十六日午前三時三十分頃、外蒙蘇聯爆撃機は、不法にも満領内に侵入してきたり、フラルキ附近に爆弾八個を投下して、満露人家屋各一を破壊し、重軽傷者七名を出せり」
 
同紙は、チチハル特電として
「單機または二、三機で夜陰に乗じ滿洲内に入りこみ、十六日午前三時三十分チチハルをへだたる滿洲フラルキに蘇聯SB爆撃機あらわれ、盲爆をして去った」という記事を掲載した。
 
 
辻書からの引用部分が 同 文identical である事は当然だとしても、ここで謂う「資料關東軍」と謂うのは この作家が引用してゐない「戰史叢書<27>關東軍<1>」(P-577)の事である。
辻書からの引用はともかくとして、それに引き続き朝日新聞記事、さらには 同紙チチハル特電と続いては、他人の著作を下敷きにして、あたかも自分自身の記述であるかの斯く装って脚色した、引用文献の丸寫しとのそしりを逃れ得まい。
 
もう一つ、詮索してみましょうか。 P-190
 
『三日二十三時、戰車数輛が軍橋に殺到してきて、・・・』
『小松原中將の日記にしるす。 ・・・』
『小林兵團長の日記にしるす。 ・・・』
 
このくだりも、扇 廣著「私評 ノモンハン」(芙蓉書房 昭和61年8月)P-140 - 142 からの丸写しであって 直接 原典に当たっての 自分自身の言葉での記述ではありますまい。 なぜなら「朝倉工兵軍曹」の話や 引用文に引き続き「手馬」の事が書かれてゐるから。
 


それに加え 事実関係に「誤り」が多すぎる。 普通 雑誌に聯載されて單行本として出版されるまでに推敲すいこうを重ねて訂正されるものなのだが、この多忙な作家は その遑 暇ゐとまなく、事實考證テクストクリティックには関心が薄いらしい。

先ず 『第二十三師團は、昭和十三年四月に編成要領が發令され、七月に編成を終へたばかりの陸軍で最初の三單位制(歩兵三個聯隊基幹)師團であった。 日本内地に原隊の所在地を持たない、寄せ集めの特設師團である。』(P-32) との記述は精確、正鵠せいこくを欠く。

さらに 『第二十三師團は宮崎第六十四聯隊、島根第七十一聯隊、大分第七十二聯隊を基幹としているが、・・・』 と謂う記述は 出典が何処なのか疑問を感じる。 權威の怪しい引用文献を 檢證なしに丸寫しするから こう謂うことになる。

歩兵三個聯隊で歩兵團を構成する最初の師團は 第二十六師團で 昭和十二年九月三十日山西省 大同タートンで編成されてゐる。

第二十三師團(熊本)は 昭和十三年四月四日 第二十一師團(金澤)、第二十二師團(仙臺)と同時日に編成が發令されてをり、孰も常設・現役師團であって「特設師團」ではない。 この作家は「特設師團」がなにを意味するのかすら理解してゐないらしい。

第二十三師團の編合歩兵聯隊の聯隊補充區は下表の通り。
 
出    典 歩兵第六十四聯隊 歩兵第七十一聯隊 歩兵第七十二聯隊
津本 陽 説』 宮    崎 島    根 大    分
日本陸軍歩兵聯隊
(建制上の聯隊補充區)
熊    本 鹿 児 島 都    城
実質・実態
(私説・私見)
熊本・大分 廣    島 久 留 米
 
 
のっけから基本的事実関係の誤りを突きつけられると 記述内容全体の信憑性に疑いを持たせられる。
      

上の寫眞をクリックしていただくと、歩兵第七十一聯隊が 当初 軍都廣島で編成されたことが お判りいただけます。

最後に、此の作家は終章で 『ノモンハン事件における戰歿者の数は、牛島康允氏によれば、昭和四十七年五月、厚生省援護局の調査によると一万一千百二十四名が妥当とされる。 戰死傷を含む全損耗は二万二千名程度と推定できるという。』 と「間違い」の上塗りのような事を書く。
 
この 11,124と謂う数字は 戰史叢書<27> P-711 に昭和十五年一月附 「ノモンハン事件」研究第一委員会調製「研究報告」 として記載されてゐる小松原師團の 「戰死、戰傷生死不明、戰病」 者の合計数字であり、偶然の一致とは考えられず、どちらに信憑性、合理性があるか「答」はおのずから自明である。
 
出処・出典 戰    死 戰傷生死不明 戰    病 合    計
第六軍軍醫部調製
統合表
7,696 9,668 2,350 19,714
津本 陽 説』 11,124 22,000
第二十三師團軍醫部調 4,786 6,094 1,340 12,230
第一委員會調製
「研究報告」
5,070 5,348 706 11,124
 
 
 
それにしても この多作の売れっ子作家は事実考証に全く無関心、無頓着であり、評価の定まらない出典に依拠して、テクスト・クリティックス能力皆無だとみた。

風貌からして性 善せいぜん、無辜無涯無窮然とした この老大家は 「盗作」とか 「盗用」なぞと謂う言葉には無頓着らしゐが、 「 間違った記述 」 はきちんと訂正してをいてもらはねば、世間一般では 「時代物の權威者」 だと謂う事になってゐるだけに、 「一犬 嘘を吠ゆれば 萬犬 實を傳う。」となっては困る。

 

盗用だとはじて 絶版とするかどいうかは 作家ご自身の良心に訴えるしかないが、「 美しい話 」beautifulではないですねー。

この 老作家は 劍道三段であることが自慢らしいが 段位と倫理観の高低は無関係らしい。
 「 名をこそ惜しめ 」 と謂う言葉は この人にこそ 贈りたい。

 この人の「美 學」aestheticesは どうなってゐるのでしょう? 是非 お伺したいものです。

 
主用引用ならびに参考出典;
「八月の砲声」 津本 陽 講談社 2005年8月8日 第一刷
「ノモンハン全戰史」 牛島康允 自然と科学社 一九八八年四月
戰史叢書<27>關東軍<1> 對蘇戰備・ノモンハン事件 防衛廳防衛研修所戰史室
「私評 ノモンハン」 扇 廣 芙蓉書房 昭和61年8月
「日本陸軍歩兵連隊」 新人物往来社 一九九一年八月
「大辭泉」 松村 明 小學館 一九九五年 第一版第一刷
法令法規集 第九編 教育・文化 第十一章 著作権、 著作権法 九三八三ノ三
 
                        (皇紀二千六百六十五年師走)(2006/04/12 一部加筆改定)

著作権法第三十二條;

(引用) 公表された著作物は、引用して利用することができる。

この場合において、その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究その他の引用の目的上正当な範囲内で行われるものでなければならない。

要するに 法令の定めるところは 「常識に従いなさい。」と謂う事でしょう。

「引 用」; 人の言葉や文章を、自分の話や文の中に引いて用いる事。

「盗 用」; 他人の所有になるものを無断で使用すること。

「盗 作」; 他人の作品の全部または一部を、そのまま自分のものとして無断で使うこ と。 (以上 小學館大辭泉より引用)

本日の新聞報道によると、直木賞選考委員を ”退任” したとある。 創作に専念したいとの理由です。
(2006/12/19)

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