「元軍令部通信課長の回想」を読んで。
 
鮫島素直 著 私家版 (非売品) 昭和五十六(1981)年発行

萬金ばんきんあたい。 洛陽の書。

 

インターネット古書店で 幻の名著を手に入れた。   非売品とはゆへ 洛陽らくよう書價しょか値千金あたいせんきん

著者  鮫島素直さめじますなお氏は明治三十三(1900)年鹿児島縣の生まれ。 海軍兵學校第四十八期(大正九年卒業)、海軍大學校甲種第三十一期(昭和八年卒業)。 海軍通信學校教官、聯合艦隊通信参謀等を歴任。 昭和十八年から 軍令第四部第九課長、第十課長 兼 第十一課長 兼大本營海軍部通信課長を勤められた 生粹の通信ならびに電波兵器専門武官。 終戰時 海軍大佐。 昭和六十(1985)年歿。
 
 注; 軍令部第九課 「通信計畫及管制」「教育訓練及兵器施設」「通信取締」ヲ管掌
    軍令部第十課 「暗號書ノ編纂・改訂」「暗號ノ構成」ヲ管掌
    軍令部第十一課 「通信諜報」(後 軍令部特務班)

 
名文で綴られた444頁の大冊は 私家版(非売品)ながら 副題「日本海軍通信、電波関係活躍の跡」の通り帝國海軍の通信、電波兵器に拘るその歴史、開発、教育、運用 すべてを網羅した内容の濃い文字通り貴重な「帝國海軍通信、電波兵器全史」である。
 
執筆動機については「まえがき」に切々の心情を縷々吐露してをられるが、「眞実を児孫後進に伝へるとともに、日本海軍通信、電波関係史解明の一助に資せんとするものである。」と同時に 暗號関係全般の責任者として「戰に勝った聯合軍側が敗因の最たるものとして通信、電波を挙げるならまだしも、昨日まで生死を共に戰った日本側同士の中で、聯合國側の尻馬に乘る者」を苦々しく思い 一矢を報いたいと考へたのではないかと 勝手に想像した次第である。

 
「第二編 通信、電波関係軍備」に124頁を「第五編 主要海戰における通信電子戰」に204頁を費やしてをられるのに比し「第三編 暗號に関する諸問題」は僅かに21頁で 内容的にも「第二章 被解讀が問題となった事例の檢討」に至っては 主にデービッド・カーン著「暗號戰争」(秦 郁彦・関野英夫訳 早川書房 昭和43年、 原著 "THE CODE BREAKERS" by David Kahn, Mcmillan 1967)を引用して 殆ど反論らしい反論ならず完敗の格好である。
 
確かにカーン氏の原著は膨大な資料を驅使して、情報の厚みと新聞記者として培った筆力で 記述内容の信憑性を全く疑はせない筆致で書かれてをり いま読み返してみても その隙(すき)のなさは完璧に近いものがある。
 
帝國海軍の暗號が解読されたらしい事は分かってゐたが、関係者が手探りで眞相解明を模索してゐた中、昭和43年に「暗號戰争」が突然 日本で出版された時の衝撃は余りにも大きく、翻訳者が陸海軍戰史の權威者である秦 郁彦氏であっただけに、兵科豫備學生第一期出身で軍令部特務班に勤務した経験のある中牟田研市氏の様なごく一部の専門家を例外として、皆これを鵜呑みにしてしまったのである。

 
しかし 情報公開法Freedom of Information Act成立により1979年以降 順次公開されるようになった米國立公文書館の資料RG (Record Group)457 SRN (Special Research Navy) Series と、守秘義務から解放され、大戰中暗號解読に従事してゐた関係者が口を開けるようになり だんだん綻(ほころび)が見へるようになって來た。
 
その最たるものが山本五十六聯合艦隊司令長官邀撃に繋がった暗號電報解読に係はる記述である。

手の内が判ってしまへば「なーんだ!」と謂う事なのだが; 「この章については1965年草稿の段階で秦 郁彦氏に読んでもらい貴重な示唆を与へてくれた。」とある。(I am grateful to Ikuhiko Hata for reading this chapter and offering some valuable suggestions. +Kahn P-1083) 何の事はない、この章は 秦 郁彦氏との合作だったと謂う事である。
 
因みに 日本側の発信経緯と 使用暗號書ならびに乱数表が四月一日に変更になった部分については 秦 郁彦氏から提供された 相良辰雄氏(兵科66 事件当時航空本部員兼軍令部副官 終戰時海軍少佐)の筆になる「實録太平洋戰争」第三巻(昭和三十五年中央公論社刊)からの引用である旨注記されてゐる。 そして「最高機密電報であり乱数を併用してゐるのだから「JN-25」で書かれてゐた事は疑う余地がない。」と結論付けてゐる。 しかも電文そのものは防衛廳戰史室提供の原文を英訳したものだと謂ふから世話はない。
(date and text of itinerary message: War History Office, National Defense College, Japan Defense Agency, Tokyo. The present translation was very kindly supplied by Fred C. Woodrough, jr., of Silver Spring, Maryland, a wartime translator of Japanese for the Navy. Sagara says message was sent in the most secret code; this together with the use of the additive, virtually confirms that the code was JN-25. +Kahn P-595, P-1088)
(additive changed April1: Lieutenant Commander Tatsuo Sagara, Taihei Yo Senso("The Pacific War")(Tokyo: Chuokoron Publishing Co.), III. Citation supplied by Ikuhiko Hata. +Kahn P-595, P-1087)
 
だから 発信者が「第八艦隊司令長官」となってゐたり(日本語版は「南東方面艦隊司令部は・・・」となってゐるが 原文は・・the commander of the 8th Fleet broadcast Yamamoto's itinerary・・, ・・the 8th Fleet commander had spread on the airwaves,・・・となってゐる。) 着信者の一人が「バラレ陸軍守備隊指揮官」(原文では the chief of the Ballale Defense Unit)となってゐたりで矛盾だらけである。 陸海軍戰史の權威である秦 郁彦氏なら南東方面艦隊司令長官が「海軍警備隊バラレ派遣隊」(三個中隊強の兵力 先任指揮官 呉鎮守府第六特別陸戰隊高角砲隊長 金原禮一大尉 兵科64)をさしおいて僅か一個中隊程度の「陸軍守備隊指揮官」に直接電信を発信するなぞあり得ない事、また「陸軍守備隊」が海軍戰略暗號書を所持してゐない事はヒャクも承知の筈なのだが。
 
何のことはない、NTF機密第一三一七五五番電はJN-25で書かれてゐて それが解読されたのだからJN-25は破られてゐたのだと謂う論理である。 何の証拠資料の裏付けもなしに、秦 郁彦氏から提供された それも間違だらけの史資料を基に 伝聞を組み合はせて我田引水、全くの推測により書かれた創作と謂う事である。
 
ロバート・スティネットRobert B. Stinnett氏を「ペテン師」呼ばわりし その著書(DAY OF DECEIT)を「欺瞞の書」だと決めつけた秦さんも カーン氏のトリックの片棒を担いだと謂う事になりはしまいか?

 
カーン氏は「伊號第一潜水艦」(昭和十八年一月二十九日ガダルカナル島カミンボ沖でNZコルベット艦二隻と交戰、擱坐)から回収した暗號書が解読に役立ったかもしれないとしながらも(- possibly augmenting them this time with documents salvaged a few weeks previously from the grounded submarine I-1. +Kahn P-595)慎重に それがJN-25-D(海軍暗號書呂)なのかJN-25-E(海軍暗號書波)なのか種類を特定せず單に「JN-25」としてゐる。 因みに 伊號第一潜水艦から鹵獲(ろかく)された戰略暗號書は「海軍暗號書呂第貳」の筈である。

  日本の戰史家の中にも防衛廳防衛研究所図書館所蔵の「山本元帥國葬関係綴」の中の記述「使用暗號書 波一 軍極秘」を引用して「JN-25-E-15」が破られてゐたのだから「機密NTF第一三一七五五番電」は破られてゐたとの説をなす方がおられる。 さしずめ 鮫島さんが慨嘆してをられる「聯合軍側の尻馬に乘った」日本人の一人であると謂へよう。
 
 
「ミッドウエー島は眞水不足」と謂うニセ電報を平文(ひらぶん)で発信して「AF」がミッドウエー島の地点符字である事を確認したと一般に信じられてゐる有名な話がある。 当事者である米太平洋艦隊情報参謀のレートン中佐(RADM Edwin T. Layton)は著書の中で 「ミッドウエーについて書いた全ての歴史家が この件に就いての解釈を取り違へてゐる。」と断定的に述べてゐる。

(It was to silence the skeptics in Washington that Rochefort embarked on a brilliant piece of deception that has been celebrated and misinterpreted by every historian who has ever written about Midway. When he cooked up the stratagen for sending a fake message about a water shortage on Midway, Joe's intention was not to persuade Nimitz he was right, but to prove Washington wrong. + Layton P-421)
 

カーン氏は自著のこの出典を1949年3月26日付 The Saturday Evening Postの "Never a Battle Like Midway" by J. Bryan, III からの引用だとしてゐる。(+ Kahn P-569)

阿川弘之氏は昭和四十年發行の「初版山本五十六」で早くもこの話に言及されてをられるが、出典の記載がないので出所不明である。
 
なんの事はない、「一犬嘘を吠ゆれば萬犬實ばんけんじつつたう。」の類(たぐい)である。

 

しかし米海軍が奇しくも「AF」をミッドウエー島の地点表示に使っていたのは 偶然の一致とはゆへ 何か運命的暗示を感じさせる。
(One factor that incredible coincidence the Japanese should have selected the same two letters as our own designator for Midway - AF. +Layton P-413)

 
「暗號戰争」にはJN-25-B(海軍暗號書D)についても「聯合軍の解読陣は、五月はじめまでに、JN-25b暗號書の約三分の一を解明し、常用されていた暗號の約九○パーセントを読めるようになっていたのである。」 「五月二十七日(水曜日)までに、ニミッツはミッドウエー作戰について、参加する日本艦隊の艦長たちとほとんど同じぐらいの知識を獲得していた。」とある。
 
レートン中佐は このあたりの事についても 間接的表現ながら それを否定してゐる。

著書からそのごく一部を引用すると;

「ニミッツとその数人の側近だけは珊瑚海での戰略的勝利は ロシュフォート中佐の傍受電信の中から「魚臭い臭い」を嗅ぎ分ける特殊な能力に負う所が大きい事を知ってゐた。 部分的に解読された傍受電報の中から、一見なんの脈絡もなさそうな情報を寄せ集め、パズルを解いて敵の計画と意図とを正確な絵に仕上げるのに彼は第六感を働かせた。」

(Only Nimitz and a few close aides knew, however, that our strategic success in the action was largely the result of Joe Rochefort's unique abilities to smell out "something fishy" in the intercept. He had demonstrated a sixth sense when it came to assembling unrelated information in partially decrypted enemy message and turning the puzzle into an accurate picture of enemy plans and intentions. +Layton P-405)


「問題は太平洋艦隊諜報部は日本の全通信量の六○パーセント以下しか傍受出来ず、その四○パーセント以下しか解読出来なかったことだ。 しかも解読出来たものは部分的なもので、まるで多くの断片が失われたジグソー・パズルを組み立てるようなものであった。」

(Another problem was that Hypo was intercepting less than 60 percent of the total Japanese traffic, and less than 40 percent of these messages could be broken. Many of them were only partial translations, so it was like trying to assemble a jigsaw puzzle with lots of missing pieces. +Layton P-420)

ところが或る日本人が「暗號戰争」を引用して「D暗號の解読に必要な理論」なるものを組み立てカーン氏の記述を尻押ししてゐる。 これも 鮫島さんを嘆かせた「聯合國側の尻馬に乘った」一例と謂へよう。
 

「暗號戰争」では低強度のLA暗号やPA-K2については 解読手法を詳述してゐるのに、JN-25については 具体的記述が一切ないのも物足りない。 鮫島さんとしては 論評のしようもなかったと謂う事でしょう。
 

海軍が開発し外務省に貸与した「九七式歐文印字機」については「アメリカが暗號機械を模造製作したのは正攻法、すなわち理論的解読法によったものではなく、設計を盗んで模造したものであることは、ほぼ間違いなさそうである。」と珍しく自信を持って記述してをられる。
また「歐米駐在海軍武官用の暗號機械九七式歐文印字機三型は外務省に貸与したものとは全然別個のもので、外務省固有の暗號機械をアメリカが模造しても、それだけで武官用九七式歐文印字機三型を解読することはできなかった筈である。」とも記述してをられる。(鮫島 P-138)
 
 

情報公開法施行以降 THE CODEBREAKERS が如何に改訂されたかを検証するため「最新版」を取り寄せてみた。
 
1996(平成八)年改版が最新版であるが、版權は初版のMacmillan社からSCRIBNER社に移り 新たに「The Story of Secret Writing」と謂う副題が付いてゐる。 しかし日本に関連する部分には改訂、変更はみあたらない。
 
 

「悪貨は良貨を駆逐する」、 「石が流れて木の葉が沈む」は世の習い。 一旦ひろまった間違った情報は消へ去る事はない。

鮫島さんもカーン氏の正体を知り、「暗號戰争」の舞台裏を覗いたら さぞや苦笑して 些かなりとも溜飲を下げる事が出來たのではないかと、鮫島さんの分も含めて 私自身が溜飲を下げてゐる。

秦 郁彦さんの筆法を借りれば「欺瞞の書」と謂うことになりますか。

A book of DECEIT, in Prof. Ikuhiko Hata's rhetoric.

   

昭和四十三(1968)年に「暗號戰争」が日本で出版された時、翻譯者が斯界の権威 秦郁彦氏であった事もあり、
皆 内容を鵜呑みにして 日本中に衝撃を走らせた。
阿川弘之氏にいたっては、これを絶賛して 繰り返し自著の中で 間違った記述を反芻はんすうしてをられる。
些細に内容を検討してみれば、誤った情報と傳聞を、豫斷を以た憶測で繋ぎ合せたものにすぎない事が分かる筈なのだが。

  

語學研修生として 海軍次官時代の山本五十六の謦咳に接し、ポーカーの相手をして その人となりを熟知し、
米太平洋艦隊情報参謀として 司令長官チェスター・ニミッツに山本邀撃を直接進言した 
エドウイン・トーマス・レイトン海軍少將の著書。

  

山本五十六邀撃の直接の当事者として 衒いも誇張もなく、敵將への敬意と 山本の人柄への敬慕が淡々と綴られてゐる。


(2004/09/01 初稿掲載)
 
主要参考文献ならびに引用出典;
 
「元軍令部通信課長の回想」  鮫島素直 非売品 昭和五十六年
「情報士官の回想」  中牟田研市 ダイヤモンド社 昭和49年
「ブーゲンビル戰記」  高畠喜次 KKベストセラーズ社 昭和五十三年
「暗號戰争」デービッド・カーン著 秦 郁彦・関野英夫訳 早川書房 昭和43年
THE CODEBREAKERS, The Story of Secret Writing, David Kahn, Scribner, 1996
"AND I WAS THERE" RADM Edwin T. Layton, William Morrow, First Quill Edition, 1985
 



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