慟哭の島 サイパン

戰歿陸軍將兵 二六、○○○
戰歿海軍將兵 一五、○○○
民間人犠牲者 一○、○○○
現地の方(チャモロ人、カナカ族)の犠牲者數は不明です。

御  製
國のため 命をささげし人々の
ことを思へば胸せまりくる。
平成四年二月吉日

The Last Command Post。
米軍に島の北へ追いつめられて最後に玉碎電報を發信した 中部太平洋艦隊司令部壕跡地。

壕の前に帝國海軍各種兵器が展示されてゐる。

四一式五十口径十五糎沿岸平射砲。
英アームストロング社 (Sir W. G. Armstrong Whitworth & Co., Elswick) 四十口径六吋砲を基に獨自設計して 艦砲として明治四十一年(1908)正式採用されたもの。 廃艦となった「土佐」「天城」「紀伊」「尾張」等から撤去され海軍工廠倉庫に眠っていたものを沿岸平射砲として転用されたものだと推測される。
テニヤン島ペペノゴル砲台安式四十口径六吋砲に比べると 砲身形状は酷似してゐるが 砲身長が長くなったため それに併せて尾栓が強化されてゐる事が はっきりと判る。

十二糎高角砲と十二口径短二十糎砲。

右側の寫眞は十年式四十五口径十二糎高角砲。
開戰前に八九式四十口径12.7センチ(五吋)聯裝高角砲に換装、撤去された戰艦、重巡洋艦に搭載されてゐたものを
陸用に転用したものだと思はれる。

こちらは砲身の短い 九八式四十口径八糎(三吋、76.2m/m)單裝高角砲。
高角装填の為、尾栓は海軍では珍しい「克式」(獨逸クルップ社)である。 



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