地上の楽園 ロタ島
グアム島の北東65 Km、東西18 Km 南北10 Km 丁度山手線がすっぽり入る面積125平方キロ 人口3,500人。
マリアナ諸島で唯一 飲用に適した眞水の「湧き水」の豊富な島。 これと謂った産業もないのにテニヤンより人口の多いのはその所為でしょうか。 綺麗な海と澄んだ空氣。 夜は満天の無限の星空。 それ以外はなにもない島です。 ゆき遇ゐの群馬から来たと謂う女の子に「なにもないところがいいんです!」と教へられて はっとその事に氣がつきました。
この島の蜜蜂たちは熱帯の花の密をたっぷりすって「蜂蜜」は南國の果物の香りでいっぱいです。 朝 ホテルで食べる朝食の「目玉焼きの味」も絶品です。 名古屋コーチンに似た地鶏が廣い囲いの中で放し飼いにされてゐます。 その一羽一羽に日除けの楯が与えられています。 それから天然の自然乾燥の「塩」 これも絶品です。 ロタ島は「鳥」の楽園でもあります。 廣大なバード・サンクチュアリーでBirds Watchingが楽しめます。 サイパンやテニヤンと違って この島では地上戰闘がなかったので自然の儘の植物が残されてゐます。 中でも「Osmoxylon Mariannense」はロタ島特有の原生植物です。 サイパン、テニヤン、グアムが地上戰闘ですっかり焼け野原にされてしまった後に アメリカがよかれと思って飛行機から種子を播いて植えたTaganTaganのために すっかり生態系を狂わされてしまい 不毛の土地になってしまったのとは大違いです。
もう一つ忘れてゐました。 「サザエ」がいっぱい。 リーフの中は波が穏やかなのでつののないサザエです。
海はどこまでも蒼く 空はどこまでも碧い。 空氣はどこまでも澄み 夜は満天の星空。 まさしく地上の楽園である。
地上戰闘はなかったとはゆへ空爆は熾烈であったと謂う。 海からの攻撃もあったらしい。
寫眞は東港のあるソサンハニヤ湾を見下ろす高台にある海軍砲台。
三年式五十口径十四糎平射沿岸砲。 1913(大正二)年8月英ヴィッカース社
(Vickers Ltd. Barrow-in-Furness)建造の軍艦「金剛」六吋副砲を参考に十四糎(5.5吋)艦砲として設計 大正三年帝國海軍で正式採用され日本で製造されたもの。
それ以前の戰艦、重巡洋艦の副砲、軽巡洋艦の主砲が安式六吋砲ないしは四十一式十五糎砲主体であったものを、毘式砲を採用し 同時に人力手動装填のため砲彈薬莢重量を日本人の体格に併せるべく 筒径を十四糎としたもの。 艦砲としても終戰まで現役であったので 対空兵装強化の為「伊勢」「日向」等から撤去されたものを平射沿岸砲として転用されたものではないかと推測される。
Model-3 (1914) 50-calibre Vickers-type 5.5-inch coastal defense gun.
観光案内では「この大砲は一度だけしか發射されなかった」とあるが、實際には「一度だけしか發射出来なかった」と謂う事らしい。 砲身の眞ん中が眞上からの銃撃により破損してゐる。
グラマンHellcat F6F Colt-Browning .5-calibre (12.7 mm) によるものか それとも F6F-5 Bofors 20 mm Cannonによるものか、日本の恵式 (Öerlikon) 20 mm Cannon に比し その徹甲彈の威力の凄まじさを再認識させられた。 それにしても当時の日本の鋼鐵のなんと脆弱な事よ。 形状は毘社 (Vickers Ltd.)の設計をそっくり真似る事は出来ても 英國製 焼入高炭素合金鋼 (quenched high-carbone alloy steel)に比し 日本(呉海軍工廠製鋼部)では当時 低炭素鋼しか製造出来ず それが海軍工廠砲熕部の砲身材に使はれてゐた事を示す。 昭和四年 横須賀海軍工廠で第一次改装を行った際、砲身はおろか毘社製の「金剛」の艦体には 当時国産のドリルは 全く歯がたたなかったと謂う逸話が残ってゐる。
彈道入り口直径約8cm 出口約4cm すさまじい威力である。 毘社の原設計は複合砲身であった筈だが 彈痕からこの砲身は「單肉鋳鋼」だと思われる。 設計上の砲身命数は 200發だったと謂われているが それ以前に鈍化して硬度を失い脆弱化してしまったものだと考えられる。
こちらは短砲身 四十口径十二糎砲。 平射砲のようでもあり 島の眞ん中の飛行場近くの高台に設置されているので高角砲のようでもあるが 高角砲にしては砲身が短すぎるようにも思へる。
仰角歯車の形状からして これは矢張り平射砲ですよね。