「ニイタカヤマノボレ一二○八」發信經緯。 この電報は針尾無線塔からも発信されたのであらうか?

ウオルト・ディズニーの映画「パールハーバー」が話題となってゐる折から、INTERNET で「ニイタカヤマノボレ」を檢索してみて驚いた。
千に余る関連 URL が表示されてゐて、行田無線塔(千葉縣船橋市)、針尾送信所(長崎縣佐世保市)、依佐美無線塔(愛知縣刈谷市)が この有名な電報の発信地として名を列ねてゐる。
中でも 針尾無線塔は 佐世保市(觀光課、市史編纂室)、佐世保海上保安部、日本財団事業成果ライブラリーの公式ホームページ等に「大東亞戰爭の火蓋を切った『ニイタカヤマノボレ1208』の暗号電報を発信したのが この無線塔である」として紹介されてゐる。

この有名な GF機密第六七六番電、 GF電令作第一○号の発信經緯については 阿川弘之氏が詳細に検証してをられ 昭和五十年十二月 新潮社刊「軍艦長門の生涯」(下巻)の中で 詳しく記述してをられる。

「日本側発信經緯」は次頁の通りであるが、『「新高山ノボレ」をふくむ、あらゆる命令や情報は、海軍省構内にある 東京通信隊の第一放送系の電波にのせられて、出先の艦隊に届けられて』をり、(阿川弘之著「山本五十六」昭和四十年十一月新潮社初版から引用)当然 この電報も 千葉縣船橋市行田無線塔から発信された事に間違いない。

平成11(1999)年12月4日付 産經新聞東京本社版夕刊に<20世紀の舞台>「ニイタカヤマノボレー開戰暗号電文を送信した針尾無線塔」として写真入り署名記事が掲載されてゐる。  産經新聞と謂い佐世保市と謂い、精確 かつ 正鵠を使命とする權威ある報道機関、公共機関が どこから斯かる説を引用されたのであらうか? 佐世保市市史編纂室は出典についての問い合わせに対し、終戰時 佐世保通信隊針尾分遣隊長であったY氏の『ニイタカヤマノボレの電文は、私に言わすれば「この塔からも発信された」と言うのが正確と思います。』と謂う証言と 郷土史家S氏の「佐世保軍港史」から引用の「太平洋戰爭開戰時『新高山登れ』を針尾から発信したように言う説もあるが、基本的には誤りで、初信は船橋の海軍用アンテナから発信されており、針尾からはそれを再発信したものと思われる。」である旨回答がありました。 しかし これが出所の総てであると謂ふ事なら 根拠薄弱であり 我田引水、牽強付会の謗りはのがれられず「僣称」と謂ふものではありますまいか。  INTERNET上では「針尾説」が圧倒的に優勢であり まさに「一犬嘘ヲ吠ユレバ萬犬實ヲ傳ユ」の觀を程してをり もしこれが事実に反することなら その責任は重大と言わねばならない。  産經新聞の出典もこの辺りと推測されます。
そこで「再発信」であれ「中継」であれ 針尾無線塔から この電文が発信されたと謂う事実があったのであらうか、以下 検証してみます。  結論は その可能性は「皆無」であり まさに「僣称」であります。  

防衞研修所戰史室編纂 戰史叢書「ハワイ作戰」によれば 機動部隊(第一航空艦隊基幹 指揮官 1AF司令長官 南雲忠一中將 旗艦「赤城」)に対する通信方法は 軍令部が中心となって 聨合艦隊、1AF の間で愼重に事前檢討がなされ 東京海軍通信隊が一手に管掌することとなり「東京通信隊一般放送系デ放送スル。」 となってゐる。
また 航海中の隊内通信は「視覚通信ノミ」とも規定されてゐる。
單独行動の先遣部隊潜水艦に対しては 東京海軍通信隊の管制下 依佐美無線塔から 17.44 kcs の超長波で発信されてゐるが これを受信解読出來たのは 1Ss(司令官 佐藤 勉少將 旗艦伊號第九潜水艦)、2Ss(司令官 山崎重暉少將 旗艦伊號第七潜水艦)ならびに3Ss(司令官 三輪茂義少將 旗艦伊號第八潜水艦)の司令官座乘潜水艦みで 1sg司令潜水艦以下の単独行動の潜水艦には 十二月五日午後五時三十分發令 第六艦隊司令長官作戰特別緊急信「X日(Y日ニ同ジ)ハ豫定通リ」に依り伝達されてゐる。  この事は伊號第二潜水艦座乘の2Ss 7sg司令 島本久五郎大佐、伊號第七十四潜水艦座乘の3Ss 11sg司令 水口兵衛大佐 ならびに1Ss 3sg伊號第十六潜水艦通信兵の日誌から肯定される。 クエゼリン在泊の6F旗艦「香取」発令が051730 各艦受信が051900であるから クエゼリン基地第六通信隊(6cg)が中繼し 東京通信隊が依佐美送信所から発信したものと思はれる。 
 因みに 戰略暗号である「海軍暗號書D」一般乱数表は040000(十二月四日午前零時)を期して「第七號」【Dラ七】から「第八號」【Dラ八】に変更されてゐる。  

機動部隊(1AF基幹)先遣部隊(1Ss, 2Ss, 3Ss基幹)以外の 南洋部隊(4F基幹) 南方部隊(2F, 3F, KF, 11AF基幹)竝に 北方部隊(5F基幹)に対する通信伝達方法についても「機密聨合艦隊命令作第一號別冊」(次頁資料御參照)に細かく規定されている。

防衛庁防衞研究所が所蔵する 呉通信隊の受発信記録では「着信者 GF」となってゐて「受報者」は記載されてゐないが、米海軍諜報部の傍受記録によると「着信者」は「機動部隊」「先遣部隊」「南洋部隊」「南方部隊」「北方部隊」各指揮官、「受報者」が 麾下各戰隊司令官ではなかったかと推測される。

孰れにしても 緊迫した開戰前夜の情勢下、厳重な通信管制のもとで軍令部に直屬する内戰部隊である佐世保鎭守府所属の佐世保通信隊針尾分遣隊が 外戰部隊である聨合艦隊司令長官命令を発信は勿論 中継をすることもあり得ません。  呉鎭守府所属の呉通信隊が中継をしたのは 事前に その命令を受けてゐたためで その事は「機密聨合艦隊命令作第一號別冊」に明記されてをります。

以上により 「針尾無線塔が『ニイタカヤマノボレ一二○八』を発信することにより 大東亞戰爭の火蓋が切られた」と謂うのは全く史実に反する事であると お分かり頂けたこと思います。

(2001/06/12掲載)

追記ー1 8/24 佐世保海上保安部ホームページ維持管理委員会責任者から、「針尾無線塔に關する紹介内容から『ニイタカヤマ』関連記述を削除する・・・」旨連絡がありました。

追記ー2 8/12 讀賣新聞日曜版に「針尾送信所無線塔」の記事が掲載されてをり、文中 防衞廳防衞研究所主任研究官の言葉が引用されてをります。 早速 防衞研究所に その根拠と出典を問合はせたところ書面で回答がありました。 
長門から海底ケーブルを經由して 針尾から直接發信されたと謂ふ御説ですが、傍受解讀資料から 發信者は「共符」「ヨヰ零零」となってをり、電鍵紋解析から 聨合艦隊旗艦發信の電信である事を秘匿する爲 「長門」から直接發信されたと謂ふ事はあり得ない。 その他内容は 珍説、奇説ともよぶべきもので、私の主張の正しさに 益々 確信を深めました。 大東亞戰爭開戰六十年を前に 佐世保市役所に対し正しい史実の普及と記述の訂正を迫って行く所存です。

追記ー3  大阪府警察本部ホームページ門眞警察署「旧海軍無線送信所跡」欄に「眞珠灣攻撃は、ここから發信した『新高山登れ』という暗號電報によって行われた」とあり 出典を問合はせた所、門眞町役塲昭和三十七年發行「門眞町史」である旨回答がありました。 これまた歴史的事實の改竄とも 惡乘りとも謂うべきもので 早速 關係者に 善処方要望しました。(2001/10/25) (2011/10/01 復刻掲載)

參考ならびに引用文獻;

防衞廳防衞研修所戰史室編纂 戰史叢書 「ハワイ作戰」
防衞廳防衞研修所戰史室編纂 戰史叢書 「比島・マレー方面海軍進攻作戰」
阿川弘之 「山本五十六」 新潮社 昭和四十年十一月初版
阿川弘之 「新版 山本五十六」 新潮社 昭和四十四年十一月初刷
阿川弘之 「軍艦長門の生涯」 新潮社 昭和五十年十二月初版
石川幸太郎 「潜水艦伊16號通信兵の日誌」 草思社 一九九二年十一月初刷
「AND I WAS THERE」 Rear Admiral Edwin Thomas Layton, William Morrow, N.Y. 1985

無線關係の技術面に就きましては 我が國の最高權威者であられる岡本次雄様 (JA1CA)から
貴重なご助言を賜りました。

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