新 版 「NTF機密第一三一七五五番電 傍受解讀の眞實。」

The TRUTH about the intercepted and decrypted code message of NTF131755.
David Kahn described in his book of "The Codebreakers" (Mcmillan 1967) that Admiral Yamamoto's itinerary to the southern tip of Bougainville, encrypted by JN-25 had been intercepted and decrypted by Hypo.
I have a different view and opinion about it. The original code message of NTF131755 addressed to the commanders of the Base Unit No. 1, the 11th Air Flotilla and the 26th Air Flotilla, informing of the planned tour was encoded by JN-25D (Naval Operations Code Book of the third version of RO). The intercepted code message was addressed to the Garrison Commander in Ballale island, who did not carry the Naval Operations Codebooks (so called FLEET CODE) of RO nor HA. The cable was transmitted from the Radio Unit No. 8 (8cg) in Rabaul at 140009 (00:09am 14th April, 1943), 6 hours 14 minutes after the original NTF131755 had been released to despatch. The message was supposed to be encrypted by the least secured tactical code of TA.
This article here in Japanese tells the details.

ことの背景;
山本五十六聨合艦隊司令長官待ち伏せに繋がった米軍側の暗号解読については、David Kahn著「The Codebreakers」が昭和四十二年 (1967)年に日本に紹介されて以來「四月一日に乱数表が更新された戰略暗号で書かれた 機密第一三一七五五番電が解読された。」とする説が すっかり定着してしまった。作家の阿川弘之氏は その著書「新版 山本五十六」の中で これを引用して『彼らがこの電報を読んだことは、ほとんど疑う余地がない。』と記述してをられ、更には 昭和五十年十二月に上梓された「軍艦長門の生涯 下巻」の中で『使用暗号書は、記録によると「波一」となっている。 乱数表は四月一日に改変されたばかりだし、・・・・』『現在でも、「あれは正規の戰略暗号が読まれたのではない」と信じている人があるけれども、山本の死から四半世紀後に出版されたデーヴィッド・カーンの「The Codebreakers」を見れば、アメリカの情報部が(四月一日に乱数表が変更されたばかりの波暗号で書かれた)「NTF機密第一三一七五五番電」を解いていたことはほぼ確実である。』と 俗論を排すの筆致で再確認してをられる。

果たして事実はその通りであろうか?

公式戰史から;
防衞廳防衞研修所戰史室編纂 昭和四十五年十一月刊行 戰史叢書39「大本營海軍部・聨合艦隊」<4>に依ると;
機密第一三一七五五番電 着信者 第一根據地隊、第二十六航空戰隊、第十一航空戰隊各司令官、第九五八海軍航空隊司令、「バラレ」守備隊長 となってをり 使用暗号については具体的に特定されてゐないが『然カモ亂數表ハ四月一日變更セラレタルモノニシテ理論的ニ解讀ハ不能ナルベシ』と記載されてゐる。

ここの部分の記述の礎になったと思はれる 防衛研究所図書館に保管されている「山本元帥國葬關係綴」にある発信原文には『使用暗號書 波一 軍極秘』とあるが これは 海軍用箋に筆写されたもので 事件後海軍省大臣官房からの指示で 南東方面艦隊、第一聨合通信隊 合同の調査報告電報 昭和十八年四月十九日付「NTF第一九二○四五番電」をもとに 海軍省で筆写したものである。
同綴には『前項ノ送信原文ハ航空便ニテ發送ス。』とあるが 同綴の中にはない。

この記述の疑問点の一つは「戰略暗号」を常用する「司令官」と それを持たない「守備隊長」を 同列に並べてゐる事である。

さすがに、昭和四十八年二月發刊 戰史叢書62「中部太平洋方面海軍作戰」<2>の編纂官は この点に氣付いたようで『山本長官一行の行動豫定を前線部隊指揮官 (1Bg, 26Sf, 11Sf) あて打電した。』と 括弧内 符字の前に 司令官を示す<三角旗>入りで 事実上の訂正とも採れる記述になってゐる。 しかし 戰史叢書39に 第九五八海軍航空隊司令と「バラレ」守備隊長の名前がある以上 両者にも出電された 痕跡があったわけで その点については 戰史叢書62にも一切 言及がない。

第一次資料とも謂へる超一級資料たる「高松宮日記」では この部分が『宛「第一根拠地隊、第二十六航空戰隊、第十一航空戰隊、バラレ」』となってをり、非常に注目すべき点である。

米海軍諜報部の資料から;
David Kahn氏の主要情報源の一人であり、司令長官Chester Nimitzに直接 山本五十六邀撃を進言した 当時の太平洋艦隊情報參謀Edwin Thomas Layton中佐の著書から関連する部分の記述を引用すると;

『呼出符丁の傍受から 山本長官が「い」號作戰指揮のため 四月初旬にRabaulに到着した事を知ってゐた。』
『聨合艦隊司令部が南 (Rabaul) へ移動して以降 我々は Rabaul の通信系に特別の注意を払ひ続けた。 そして その努力は四月十四日の早朝、一つのsignalを傍受した時に酬はれた。部分的な解読は 山本の死を保証するものであった。』(Ever since Combined Fleet headquarters had moved south, we were keeping a special watch on the Rabaul radio circuits. This attention paid off in the early hours of 14 April when a signal was intercepted. The partial decrypt was to prove to be Yamamoto's death warrant:) として NTF131755に近い内容が披露されてゐる。
更には『Alva B. Lasswell海兵隊少佐が その日のHypoでの当直で 最初に電信を解読した。』『この電報は「バラレ」守備隊長に宛てたもので ・・・』(Since the message was addressed to the garrison commander at nearby Ballale island, ・・・ )と続いてゐる。

Washington D.C.の米國立公文書館 (National Archives)で SRN Series #006430 として公表されてゐる傍受解読電報は 確かに Ballale Garrison Comdr.(バラレ守備隊長)宛であり 周波數 4990 kcsで発信されてゐる。
解読時刻 4/141705/Q は "QUEEN" 即ちGCT (Greenwich Civil Time) であり Hawaii時間 (PST)の 140705、つまり4月14日午前7時5分である。 これは 上掲 Layton書の中の記述;
『水曜日の朝、ICPOA (the Intelligent Centre Pacific Ocean Area、FRUPac (Fleet Radio Unit Pacific Fleet) /Station Hypo を統括強化する形で 1942年 6月24日 新設された組織) のJasper Holmes少佐が 機密電話で報告して來たとき 先ず考へたのは この情報で何をするかであった。 彼が自分で解読電文を太平洋艦隊司令部に届けて來たとき、私は廊下を走ってNimitz提督に相談に行った。 Nimitzの副官 H. Arthur Lamar中佐が「長官は在室だ。 直ぐ逢はれるよ!」と言ったのは 午前八時を少し過ぎた頃だった。』と謂ふ記述とピタリ合致する。

即ち、 4月14日午前七時五分に解読飜訳を了った電報をみて 当直士官は直ちに 直通電話で艦隊司令部の情報參謀に連絡し、電報用紙を鷲掴みにして車に跳び乘り 真珠湾を見下ろす丘の上の ICPOA から Pearl Harbour の太平洋艦隊司令部へ。 解読は不完全なものであるが Rabaul発、Ballale着の時間は正確に言い当ててをり これで目的は充分に達せられたわけである。

さて 問題の電報ですが;
傍受時刻 140009/Iは "INDIA" 即ち 日本時間であり 解讀された電報は 原電報決裁時刻から6時間14分遅れて4月14日午前零時9分に「バラレ守備隊長」宛に再電されたものである。 從って 解読には 25時間56分を要した事になる。

当時のバラレ海軍守備隊は 横須賀鎮守府第七特別陸戰隊高角砲中隊(中隊長 三宅 勇海軍特務大尉)、呉鎭守府第六特別陸戰隊 ならびに 同野戰高射砲中隊(中隊長 高橋武雄中尉 兵68)を主力とした総勢五百人三個中隊強の兵力で先任指揮官は呉鎭守府第六特別陸戰隊 金原禮一大尉(兵64)であり 「戰略暗号書」を所持していたとは考へ難く、また 解読された電文本文の中に地點表示 (RR, RXZ, RXP)が使はれてをり これは「RR」「RXZ」「RXP」をそのまま「單式換字暗号」に変換して打電した事の証左である。
「RXZ」「RXP」が解読出來て「RXE」(Shortland) が解読出來なかった理由は「RXZ」「RXP」が夫々「單字」で encryptされたのに「E」は【ETOANIRS原則】に從って「XE」で encrypt された爲「XE」が読めなかったものと推測される。
「呂暗號」「波暗號」の様に語彙の多い「戰略暗号書」では たとへ 電報原稿に「RR」とあっても「發信用暗号書」の『ラバウル』の項で五桁の數字を拾い これに加算乱数を加へて発信、これが傍受 strip されて 元の五桁の數字が出て來ても その五桁の數字を「受信用暗号書」で decryptすれば 直截に『ラバウル』と出てきた筈で これを態々 再度「地點表示」に置き直す必要はなかった筈である。
しかも "Although Tommy Dyer and Ham Wright had not been able to recover all of the area designator code groups, we knew that RR was Rabaul, RXZ was Ballale, and RXP was Buin on the southern tip of Bougainville." とあり 解読された電報原文が『特定地點略語表』にある「地點表示」で書かれてゐた事を疑ふ余地はない。 更には「a medium attack plane」と謂う訳も「中攻」の單式換字暗号の直訳である事を示してゐる。

以上から 解読された電報は「低強度」の「局地戰鬪用暗号」等の「戰術暗号」で発信されたと結論付けられる。
即ち『JN-25D電の通信解析により 山本長官の動静を探知、Rabaulの通信系に特別の注意を払ひ、【強度の弱い暗号で再電された】行動予定電を傍受 これを破った』と謂ふ事を疑う余地はないと斷定出來る。

因みに 防衛研究所図書館に保管されている「山本元帥國葬關係綴」の中にある電報原文には「RR」「RXZ」「RXE」「RXP」の地點表示が使はれてをり 日付も「セツア」(4月18日)と暦日換字表示が使はれてゐる。

なぜ バラレ守備隊長宛?;
では何故 低強度の暗号を使ってまで バラレ守備隊長宛に打電する必要があったのであらうか?
電報を起案した 參謀(発信者はNTF、8F長官連名であるが電文を起案したのは二番機に搭乘して戰死したGF航空乙參謀 室井捨治少佐(兵54)だったと謂はれてゐる)は戰略暗号書を持っている「バラレ航空基地指揮官」(三木森彦大佐、 正式職名は 第十一航空艦隊司令部付 兵科40)宛のつもりで「バラレ守備隊長」としたものを 第八通信隊(8cg)の電信員が「バラレ警備隊長」宛だと誤って解釈したものではなかろうか。
五つの呼出し符丁を頭につけて放送系電波を使って「戰略暗号」で發信したが「戰略暗号書」を持たない「バラレ警備隊」から 再電を依頼して來た。 当直電信員は当直士官に相談、その指示で低強度の「戰術暗号」を使って午前零時九分に再電したと謂ふ事であらう。
元々「原」機密第一三一七五五番電は「戰略暗号」で出電されてをり 後に 海軍省大臣官房からの指示で 南東方面艦隊、第一聨合通信隊合同の調査を受けた時も きちんと発信原簿は揃ってをり調査を切り抜けたものと推測する。

解読電文中の呼出符丁、 【I KA MI】(ヰカミ)が「バラレ警備隊長」、【SO SU FU】(ソスフ)が第八通信隊のcall signで、【Info: NO KA 1】(ノカ一)は 本文中にある『受報者: 聨合艦隊司令長官』を示すものと考えられる。

注−1 「原」機密NTF131755番電は どの暗号を使って発信されたものであらうか?
「山本元帥國葬關係綴」にある発信原文とされるものには(使用暗號書 波一 軍極秘)とあり 同時に『然カモ亂數表ハ四月一日變更セラレタルモノニシテ ・・・』との記述がある。 さらに事件前後の通信記録に「呂三」「波一」とあり 当時戦略暗号書として「海軍暗号書呂第参」ならびに「海軍暗号書波第壱」が使用されていた事が確認出来る。

此の点に關し 筆者は 終戰時大尉で 南東方面艦隊司令部 兼 第十一航空艦隊司令部暗号長を勤められた 三~ 正孝氏(兵69)から『上官の通信參謀(有澤直定中佐 兵51)、ならびに当時の暗号員の言葉から 機密第一三一七五五番電は NTF からは「ロ」で発信されてゐます。』との証言を得ている。
戰史叢書39の此の部分の記述は「山本元帥國葬關係綴」を礎にしたものと思はれるが 同書の中では『戰略暗號書』と記載して使用暗号書を特定してゐないのは主任編纂官(小田切政徳氏 兵52)が此の点に疑問を感じた爲ではないかと推量される。
三~ 氏の證言通りである可能性が極めて高いと判斷される。
この塲合、使用暗號は「海軍暗號書呂第參」と謂ふ事になる。
因みに「海軍暗號書呂」は昭和十七年八月十五日、「海軍暗號書波」は昭和十七年十月一日から使用が開始されてゐる。

注−2 「高松宮日記」第六卷 193頁四月二十日の項『宛「第一根據地隊、第二十六航空戰隊、第十一航空戰隊、バラレ」』となってをり 宛先から「第九五八海軍航空隊司令」が脱落し 且つ「バラレ守備隊長」ではなくて 單に「バラレ」となっている。
当時 高松宣仁中佐宮殿下は 軍令部參謀として 機密電報を具にご覧になられるお立塲にあり 日々の重要事項を御日記に書き誌してをられる。
同書 五月六日の項に『○三木少將ノ話《バラレ基地指揮官》』とあり 原注に 『三木森彦(海兵40)第十一航空艦隊司令部付』とある。 三木森彦少將は 同年五月一日付で海軍少將に進級したばかりであり 八月九日付で霞ヶ浦海軍航空隊司令として發令されるまでは 第十一航空艦隊司令部付として バラレ島の航空基地の指揮を執ってゐたもので もともと この電報の起案者はバラレ基地の最先任者である三木大佐に宛てたつもりで「バラレ守備隊長」と間違って起案用紙に記載したものと考へられる。

前出 三~ 氏からも「バラレ」とは「バラレ航空基地」を意味します との証言も得ている。 更には 山本長官一行が出発直後
ラバウル東飛行塲から;
 発; RRA基地指揮官(第二十一航空戰隊司令官 市丸利之助少將 兵41)
 宛; バラレ基地指揮官
 通報; ブイン基地指揮官
 機密第一八○六○五番電
 本文「一式陸攻二(内一機、聨合艦隊司令長官搭乘)、艦戰六機発」
が (使用暗号書 波一秘)で発信されてをり バラレ航空基地指揮官が「波一」を持ってゐた事を裏付けてゐる。

注−3 事件前後の通信記録から 4990 kcs が 当時の第八通信隊の使用周波數の一つであった事がはっきりしてゐる。
周波數 使用暗號書 發信者 着信者受報者
18310 kcs 呂三A NTF 大臣、総長
18310 kcs 呂三A 1Bg NTF,GS
17790 kcs 呂三A 4cg 放送系
17630 kcs 呂三A 1Bg NTF、次長、次官
5325 kcs 呂三A NTF 大臣、総長
5125 kcs 呂三A 4cg GF, NTF
5006 kcs 波一B 4cg放送系 GFs
4990 kcs 呂三A 8cg放送系 GFs
4990 kcs ヒ三B 8cg放送系 GFs
4497.5 kcs 波一A 4cg放送系 GFs


注−4 前出 三~氏からは『「バラレ警備隊」と通信出來るのは「多」暗号であったと記憶します』と謂ふ 貴重な証言も頂戴している。

私の結論:
太平洋艦隊諜報部 (ICPOA)が破ったのは David Kahn 氏の謂う「JN-25D」で書かれた強度の高い暗号ではなくて、それを再電した強度の弱い戰術暗号、多分「海軍暗號書多」であったと考へられる。
又、南東方面艦隊に於いても 事件直後「バラレ航空基地指揮官」宛が誤って「バラレ警備隊長」宛発信された事に気付きながら「電報起案用紙」の記載が室井捨治少佐の直筆で「バラレ守備隊長」となってゐた事を奇貨として 原電報が「海軍暗号書呂」で発信されてゐたにも不拘 咄嗟に「使用暗号書 波一 軍極秘」として 事態を糊塗しようとしたのではあるまいか。
事件発生直後 南東方面艦隊司令部に 通信參謀と暗号長が 新規配属されてゐる事と暗合する。

ー 完 ー
平成十四 (2002) 年四月十三日 改

參考ならびに引用文獻;
“And I Was There”Edwin T. Layton, Rear Admiral, U.S.N. (Ret.) William Morrow, N.Y. 1985
『高松宮日記』第六卷 中央公論社 1997
防衛庁防衛研究所「山本元帥國葬關係綴」
戰史叢書39「大本營海軍部・聨合艦隊」<4>
戰史叢書62「中部太平洋方面海軍作戰」<2>
戰史叢書96「南東方面海軍作戰」<3>
阿川 弘之 「山本五十六」昭和四十年十一月 新潮社版 初版
阿川 弘之 新版「山本五十六」新潮社 昭和四十四年十一月 初刷。
阿川 弘之 「軍艦長門の生涯」 新潮社 1975
中牟田研市 「情報士官の回想」 ダイヤモンド社 1974
David Kahn 「暗号戰爭」 秦 郁彦訳 早川書房 1968

補遺・補足
 各論に対する比較考証
史資料の検証
諸書からの適用

のページへ。



inserted by FC2 system