「ぼくらの頭脳の鍛え方」

『「知の巨人」 と 「知の怪物」 が空前絶後のブックガイドを作り上げた。』 とあるが、讀者にとっては 『難讀・難解な怪物』 である。

しっかり頭脳が鍛へられるよ!!

文春新書
2009年(平成21年)10月20日 第1刷発行

沖縄・久米島から 「日本國家を讀み解く」

沖縄は歴史的に日本國の一部であったのか?  仲原善忠をしての 佐藤 優 『久米島の歴史を語る』 の巻き。
例によって 難読・難解ではあるが 沖縄・久米島を考えるには必読の書。

2009年10月6日 株式會社 小學館

私のマルクス・ロシア篇

『甦る怪物』

晴れて 「起訴休職外務事務官」 の肩書きが とれました。 新しい肩書きが出來るまで 取り敢えず 「元」 としておきましょうか。

ますますのご活躍を期待します。

大宅壮一ノンフィクション賞受賞の前作 『自壊する帝國』 とは違った切り口からの 「蘇維埃ソビエット社會主義人民共和國聯邦」崩壊史 であり 同時に 前作  『私のマルクス』 後編でもある。  知的辯證法による自叙傳。 

甦る怪物 私のマルクス ロシア篇 文藝春秋社 2009年6月30日 第一刷

(2009/07/07 追記)

テロリズムの罠

右巻 も 左巻 も 難読・難解なり。

ユルゲン・ハーバーマス現代国家論 が出てきたり、佐藤さん得意の 宇野弘蔵論が出てきたりで 大学院修士課程レベルの内容で、難解な部分を読み飛ばせば(難解部分が三分の二だけど) 成る程と納得が行く。  小泉・竹中は怪しからん奴等だと謂う事はよく分かる。

「テロリズムの罠」 右巻 ー 忍び寄るファシズムの魅力 角川学芸出版 二○○九年二月 初版
「テロリズムの罠」 左巻 ー 新自由主義社会の行方  角川学芸出版 二○○九年二月初版

『蟹工船』 異論

小林多喜二 仮想小説。 葉山嘉樹 『海に生くる人々』 のリアリズム。

ロマン・ポルノ 「日本國外務省」
作 外務省國際情報局情報課 主任分析官 加藤 勝

「個人名除いて ほぼ実話」 とある。 しかし 誰が誰であるのか 皆目見当がつかない!

登場人物;

金田金造代議士; 「ちょっと品はないが、決して悪い人間ではない。」 と謂う共通点はあるが まさか 鈴木宗男先生ではないですよね。

西郷 茂外務審議官; この方は 猶太・朝鮮の遺伝子を それぞれ四分の一。 双子の兄弟にbabydollの血脈を有する方がおられましたよね。

竹田紀夫印尼大使; 京都大學の出身でインドネシア大使で終わりだったところ、間違って事務次官となり、せっせと「外務省と謂う水槽」の中の水をお掃除して 今や 功成り名遂げ (司法官試験を通過せずして只一人) 最高裁判所判事になられたお方の事を彷彿とさせます。

アルマジロ歐亞局長; 上智大學伊斯巴尼亞語科出身の このお方は めずらしく 実名が出てゐる。 仮名にする必要を認めずと謂うことですか。

松岡国雄首席事務官; わざわざ 「外務省歐洲局ロシア課で首席事務官をつとめた松田邦紀氏(現イスラエル大使館公使)や西田恒夫駐カナダ大使(元ロシア課長)の若いころをデフォルメしてゐるわけではない!」 とことわってゐるところが少しあやしいが。 幼児プレーの部分は以色列駐剳公使だとして、実話だと謂うのなら、その他 複数の人物に仮託してゐる匂いを感じる。

秋月幸一郎公使; これも 元大臣官房審議官だとか元官房総務課長だとか 複数の人物のdeformeでせうか?

本名が出てくる 飯村 豊 現佛蘭西駐剳大使 や 上月豊久 現露西亞大使館公使の行状は どなたに仮託されてゐるのであろうか。 興味は尽きない。

pornoにご興味のない方への お勧め度零です。

「外務省ハレンチ物語」 佐藤 優 (株)徳間書店 二○○九年三月三十一日
「野蛮人のテーブルマナー」 佐藤 優 (株)講談社 2007年12月3日

(2009/05/26 追記)

三・五 島 返還論

3.5島 なんて云われても なんのことやら さっぱり判らなかったが、「歯舞、色丹、國後、択捉」四島の面積を二分割する と謂えば分かり易い。 しかも 技術的には 東經 147.5度  近辺に國境線を画定すると謂うのだから、妙案も妙案。

誰が考え出したものだか、世の中 知恵者がゐるもんだ。 もしかして 「川奈提案」 なるものが これだったのかも。

2009/03/14 書き下ろしの 「家事補助員は見た」 に その原型が書いてあるので、出所・出典は その辺りが ヒントだ。

一方、週刊新潮 4/30 発行 No. 18 「週刊 鳥頭ニュース」に 全く 逆の事が 書いてある。 新大使 信任状奉呈式での メドベージェフ大統領の異例のコメントと謂い、何かが動いてゐる。 じっと見守ろう。 (2009/05/30)

しかし 上坂冬子さんなき今とはいえ、櫻井良子はじめ 大反対の烽火が上がってくるであろうことは目に見えてゐる。
慥かに 「四島一括返還」 が正論であることは論を俟たない。  現実に実効占拠してゐる相手のゐること。 不法占拠を声高に唱え、早く返せと喚いても 埒は開くまい。  あと百年たって なんの進展もなくてよいのか。

結局 領土問題と謂うのは お互いに自国の主張を続けてゐる間は決着は望めづ、お互いに主張の一部を引っ込めて妥協する以外に解決の道はなかろう。 そこで参考になるのが 三十九年前、昭和四十四年(1969) 三月に 珍寶島で血を血で洗う死闘を演じた中露国境紛争が最近ようやく解決したと謂う事例である。

即ち アムール河(黒龍江)の支流、ウスリー河(烏蘇里江)の川中島、ダマンスキー島(珍寶島)の領有をめぐり 島を二均等分して国境線を確定すると謂うもの。  両国とも 国内の愛国主義者に大反発があったと謂うが、プーチン・胡錦濤が 右ばね、左バネを押さえ込む実力を発揮したと謂う。

(2009/05/17 追記)

THE ART OF NEGOTIATION

内容は 單なる 『交渉術』 にあらず。 北方領土交渉舞台裏の全貌。 日本のシンドラー氏に仮託しての 鈴木宗男人物論。 加へて レクイエム米原萬里。

お勧め度 200%、 ☆☆☆☆☆。 必読の書。

アルマジロの正体は ?

最高裁判決や如何に。 間違って事務次官になった人が 今や 最高裁判所判事、判決に影響ありや?

You can not miss to read this book !!

国民一般には 全く聞こえてこず、見えなかったが、佐藤 優さんによると、橋本龍太郎、小渕恵三、森 喜朗の 三宰相は 確たる信念と ヴィジョンを持ってゐたと謂う。  麻生太郎くんでは 残念ながら 北方領土問題の進展は とても期待出来そうにありません。

『交渉術』 (株)文藝春秋 2009年1月30日 第1刷 

「じあたま」(地頭)と謂う言葉の創造者であり、小林多喜二 「蟹工船」に再脚光を浴びせる切っ掛けを作った 佐藤 優さんのこと。

(2007(平成十九)年5月 撮影)

わたしの 佐藤 優さとう まさる

私の 佐藤 優さんとの出会いは 「日米開戰の眞實」 を通してである。

2006年7月上梓であるから 比較的 初期の作品であるが、私が手に入れたものは 2006年8月20日発行のもので 既に 版を四回重ねてゐる。
内容的には かなり難解な代物であるに不拘ず、僅か二ヶ月足らずで 第四刷とは いかに 佐藤 優さんにたいする世間一般の関心が高かったかの証左である。

初公判の時の自分の姿を 昭和二十一年五月の極東國際軍事裁判A級法廷初日の光景と重ね合わせたのが 該書執筆の動機であろうか?  五百余日の独居生活中に二百五十冊を読破、 しかも 克明に採った思索ノートは六十余冊を数えたと謂うから 恐るべき読書力である。

昨年暮れの 阿川佐和子さんとの対談で 「沖縄に四泊五日で行って『國家論』というすっごい 難しい本を五百七十ページ書いてきた。」
「十二月は 『わたしのマルクス』をはじめ、六冊、本を出します。」 と語ってをられ 読書力だけでなく 執筆力も尋常ではない。

その六冊の中の一冊、「私(わたし)のマルクス」を求めて開いてみた。
「日米開戰の眞實」同様、難解な 宗教哲學、經濟原論がちりばめてあり、記述の略々半分以上が 宇野弘藏、廣松 渉、柄谷行人、カール・バルト(Karl Barth)、ジェルジ・ルカーチ(Szegedi Lukacs Gyorgy Bernat)、さらには ヨセフ・ルクル・フロマートカ(Josef Lukl Hromadka)の引用と 解説で、基礎知識のない僕には全く咀嚼不能な代物である。
しかし、その難解部分を読み飛ばせば、鬼才・佐藤優の生い立ちから 埼玉縣立浦和高等學校、同志社大學神學部、同大學院神學研究科を卒へるまでの青春時代を記した自叙伝である。

現在 この続編を「文學界」に連載中だと仄聞するが、この 「私のマルクス」 と 入省後の活躍を活写した 既刊の 「自壊する帝國」 を繋ぎ合わせると  《佐藤 優 『私の履歴書』》 になる。

「起訴休職外務事務官」の肩書きで執筆活動を始められたが 最近の週刊誌での肩書きは
「作家・佐藤 優」になってゐる。

限りなく羨ましいと思うのは、この人の人生には その時その時に よき師 よき友との出会いがあることである。
勿論 そのことは 佐藤さんの持って生まれた天賦の資質と 本人の努力の結晶に違いないが、中学時代の学習塾での英語教師と出会い、灘高・東大工学部・大学院出の数学教師との出会いの話なぞは、まさしく 『そっ啄同時』 (〈そっ〉は口ヘンに卒) と謂う言葉そのものを髣髴させる。

「凄い」 と思うのは 1975(昭和五十)年、高校一年生の夏休みに 蘇聯・東歐を一人で旅したことである。
当時は 東西冷戰下で 蘇聯・東歐の旅は大人にでも儘ならず、ましてや十五歳の高校一年生の一人旅。  六十万円の費用を出したことも凄いが、それ以上に高校一年生の「鐵のカーテン」の彼方への一人旅を許したご両親の心意気が凄い。

普通、小学生でアマチュア無線の免許をとると、ラヂィヲ少年から そのまま理系へ進むものなのだが、佐藤さんの人生の進路を決定つけたのは埼玉縣立浦和高校での 堀江六郎先生との出会いであろう。 東大文学部・大学院で倫理学を専攻された、廣松 渉とも交遊のある堀江先生は高校三年生の倫理社会の授業にラインホルド・ニーバー(Reinhold Niebuhr)の「光の子と闇の子:民主主義の弁護とその伝統的擁護に対する批判」(The Children of Light and Children of Darkness: A Vindication of Democracy and a Critique of the Traditional Defence.)の原文をテキストに使ったと謂う。

さらに高校時代の佐藤さんは 自ら求めて 宇野弘蔵の高弟である鎌倉孝夫埼玉大学經濟学部教授の主催する労働大学で「資本論」解読のてほどきを受けたと謂う。

   << この轉形過程のあらゆる利益を横領し獨占する大資本家の數の不断の減少とともに、窮乏、抑壓、隷從、堕落、搾取、の度が増大するのであるが、また、たえず膨張しつつ資本主義的生産過程そのものの機構によって訓練され結集され組織される勞働者階級の反抗も、増大する。 資本獨占は、それとともに、かつそれのもとで開花した生産様式の桎梏となる。 生産手段の集中と勞働の社會化とは、それらの資本主義的外被とは調和しえなくなる一點に到達する。 外被は爆破される。 資本主義的私有の最後を告げる鐘が鳴る。 収奪者が収奪される。 >> (カール・マルクス著 フリードリッヒ・エンゲルス編 『資本論 第一巻』 向坂逸郎譯 岩波書店)(本文P-92 ヨリ引用)

私自身の高校時代の知力・学力を思うとき、斯かる難解な文 書もんじょを読解したということが驚き以外の何物でもないが、佐藤さんにはカルバン派(Calvinism) (長老派 Presbyterianism)の熱烈な信者であり、日本社會黨の熱心な支持者であるご母堂と、勞農派マルクス主義者であった母方叔父の遺伝子が組み込まれ、それが体内で自然発酵・醸成されてゐたのであろう。

だから、大学受験にあたっても 明確な目的意識をもって同志社大學神學部と琉球大學法文學部を志願したのも自然の成り行きだとうなづける。

そして、フォイエルバッハ(Ludwig Andreas Feuerbach) や マルクス(Karl Heinrich Marx) を通じて「無神論」に関心があると言えば入試面接官である樋口和彦教授(ユング心理学の第一人者)が わざわざ呼び止めて、「他の大学に合格しても是非うちに来てください。」と言ったのもむべなるかな。

同志社大學 今出川キャンパス。
學部は 京田辺に移転し 現在は大學院になってゐる。
今出川通りに 冷泉家を取り囲むような立地になってゐる。

大学においても、良き師、良き友に恵まれて、良く学び、良く遊び、良くあばれ、よく呑みだが、その辺の話は本文にゆずります。

ここでもびっくりすることは、大学の授業には必ず出席し、どんなに深酒をしても 毎日30分のドイツ語の勉強を欠かさなかったと謂うことです。
高校時代、毎日 午前二時、三時まで受験勉強に机にかじりついてゐたこと、社会人になってからも、どんなに仕事が忙しくても、毎日最低二時間は机に向かって神学書、哲学書、歴史書を読んだと謂うことと併せ その肉体力、精神力、忍耐力には驚嘆に値する。

しからば、学校秀才、文弱の輩(ブンジャクのヤカラ)かといえばさにあらず。 神学部学生大会では 常に議長として 神学部自治会委員長あがりの”妖怪教授”を手厳しく批判してアジり、赤ヘルの学友会や警察の機動隊とは武闘を演じ、女子学友を城之崎温泉に連れ込むようなこともやってのける。  もっとも後にその妖怪教授の正体が判って「天性の牧師」と尊敬おく能はづの仲になるのだが。 そして、警察に逮捕されると公務員にはなれないと謂う、チャッカリ計算を働かせる世智にも長けて 思想的にも、行動も のめり込んで深入りすることなく、「分」をちゃんと辨へてゐる。 これこそが佐藤さんの造語である 「地アタマ」の良さと謂うことでしょうか。  それも とびっきり良い地頭。

だから、後に東京地方検察庁特別捜査部に逮捕・取り調べを受けた時に担当検事を散々手こずらせた上に、いつの間にか その検事を味方に取り込んでしまうと謂う芸当までやってのける。 その素地と訓練は学生時代すでに出来上がっていたということでしょう。

神學部と クラーク記念館。 神學部の二階に 嘗ての佐藤さんの牙城、アザー・ワールドがあった。

今出川正門

寫眞は 2008/10/02 撮影。  2008/11/30 掲載。

それにしても 鈴木宗男潰しの一環として受け止められてゐる あの 一連の逮捕劇とは一体なんであったのであろうか?

佐藤さんは そのことを小泉内閣の「ケインズ型公平分配政策」 から 「ハイエク型傾斜分配」への転換、地政学的普遍主義から排外主義的ナショナリズムへの転換のせいだと 難しい言葉で煙にまいています。  そして 検察側からの見方として「時代のけじめとしての国策捜査」だとも言ってをられます。  しかし 佐藤さんの容疑は「背任」 と 「偽計業務妨害」であり、鈴木さんの 「(ヤマリンからの)斡旋収賄」 とは全く関連性がない。

そもそも 直接の逮捕容疑である「背任」に 「可罰的違法性」があったのであろうか?
逮捕前夜、二十年来の知己である 現 産經新聞社正論調査室長 齋藤 勉さんが 「とるに足らない疑惑で異能の外交官を潰してしまうようになっては國家の損失だ。」 と たまりかねて当時の勤務先であるモスクワから 鈴木宗男バッシングの嵐の中で産経新聞一面トップに論陣を張ったのも 外交官としての佐藤さんの有能ぶりを熟知する齋藤さんの やむにやまれぬ絶叫だったのでしょう。
佐藤さん自身も「第三者から見れば、たいした違いがないように見える問題で、激しい諍いを起こし、東京拘置所の独房で生活する道備えをした。」と言ってをられるが、果たして 「とるに足らない疑惑」であり 「たいして違いがないように見える問題」 であったのであろうか?

歯切れの良いclear cutな 佐藤さんの筆致も、このへんのことになると、全く別人の文章であるかのように、歯切れが悪い。 しかし全体の文脈からして 特捜が追求せんとした事案は 明らかに「北方二島返還」潰しであったと読める。

佐藤さんは別の場所で <私と鈴木さんの大きな失敗であり誤算は、「二島先行返還論」などという誤解を生むレッテルを貼られたことです。 あたかも、国後、択捉はどうでもいいのだととられてしまった。そうではなくて、当時から「現実的四島返還論」であることをきちんと伝えるべきでした。>
 と述べ、 さらに <そして、「四島一括返還などといっているのは、空想的四島返還論だ」と はっきり批判していくべきでした。> とも述べてゐる。 (北方領土 特命交渉 P-180)

小泉内閣が「ケインズ型公平分配政策」 から 「ハイエク型傾斜分配」へ、地政学的普遍主義から排外主義的ナショナリズムへ政策転換したとして、官邸が検察に政治介入して特捜をして政敵潰しをやることなぞありえるのであろうか?

検察庁は法務省の外局であり、法務大臣の指揮下にある。 しかし 政治家である法務大臣が恣意を働かせ 政治に翻弄されることを防ぐため 検察庁法第十四条は次の通り定めてゐる;  

検察庁法[法務大臣の指揮監督権]第十四条
法務大臣は、第四条及び第六条に規定する検察官の事務に関し、検察官を一般に指揮することができる。 但し、個々の事件の取調又は処分については、検事総長のみを指揮することができる。

所謂 「指揮権発動」 であるが、昭和二十二年に検察庁法が施行されて以来、この指揮権が発動されたのは昭和二十九(1954)年の造船疑獄の只一回のみで, 自由黨幹事長佐藤榮作逮捕許諾請求に対し、時の吉田内閣法務大臣犬養 健が検事総長佐藤藤佐に対して発したものである。 このとき犬養は責任を取って辞表を提出。

「指揮権発動」なる言葉をワイドショウで世間一般に広めたのは 三木内閣法務大臣稲葉 修で、 この指揮権なるものをさんざん弄んで、晒し者にした上で結局 田中角榮逮捕を許諾したことは記憶に新しい。  田中は終生 三木が稲葉を諫めなかったとして怨んでゐたと謂われる。
最近では、安倍晋三が松岡勝利農林水産大臣からみで 指揮権発動紛いの発言があったとかなかったとか世間を騒がせたが、吉田内閣時代とことなり、若し指揮権を発動すれば 法務大臣辞任にとどまらず、内閣そのものを瓦解させてしまうであろう。

法律の専門家間でもほとんど知られてゐなかった、この検察庁法第十四条を吉田内閣副総理 緒方竹虎の耳もとで そっと囁いたのは思想・公安検察のドン 岸本義廣であったと永らく信じられてゐた。
検事総長目前の岸本は 東京高検検事長として 昭和三十二(1957)年所謂「売春汚職」で 時の法務省事務次官で 經濟・特捜畑の馬場義續と激しく対立。結局 人事権を持つ馬場との争いに敗れた岸本は 検事総長の椅子をふいにしてしまう。
あきらめない岸本は昭和三十五(1960)年自由民主党公認候補として大阪から衆議院選挙に立候補、見事 当選を果たして法務大臣の椅子を目指すが、馬場・特捜一派が これを黙って見過ごす筈もない。  可罰的違法性なぞ全く無視して選挙法違反で徹底的に締め上げて ついには 岸本を逮捕、野望を完全に打ち砕いてしまう。  

馬場義續は念願かなって東京オリンピックの年に検事総長に就任。
  「正 馬場・善玉 邪 岸本・悪玉」説が定着してゐたが、最近 ネット情報によると、緒方竹虎副総理をそそのかして犬養法相を動かしたのは時の 東京地検検事正馬場義續その人だと謂う説が流布されてゐる。 すなわち 馬場のマッチ・ポンプなんだそうだが、眞相は神のみぞ知るだ。 検察内部も魑魅魍魎。  げに特捜 恐ろしきかな。

緒方は 総理・総裁を目前にして斃れ、犬養また政治家としての生命を完全に絶たれる。
佐藤榮作は政治資金規正法違反で起訴されるが、一審判決をまたずに國聯加盟恩赦で免訴。
後輩の福田赳夫が現役の大蔵省主計局長で昭和電工から十万円賄賂を貰って逮捕・起訴され 講和条約恩赦で赦免となったのと軌を一にする。  田中角榮の知恵袋・後藤田正晴も 警察庁長官退任後 初めての国政選挙に徳島縣から立候補、古巣から 惨々叩かれて涙を呑んだことも記憶に新しい。 検察も警察も 身内の争いほど怖いものはない。 

官邸の司法介入として記憶に新しい事例として 「人命は地球より重し」 とのたまうて凶悪犯を釈放したことがある。
さすがにこの時は法務大臣福田 はじめは抗議の辞表を叩き付けたが、明治四十一年制定の現行の「監獄法 第十二章 釈放」の項に該当規定なく、「超法規的」措置として記録されてゐる。 同じ姓でも 赳夫と一 では性・人格を大いに異にする。

一連の騒動の時の法務大臣は河本・高村派の 森山眞弓、検事総長原田明夫、東京地検特捜部長伊藤鐵男と謂う布陣であり、やれば出来たであろうが、官邸としては検察に不必要な「借り」をつくりたくない事情もあって政治介入はなかったのではなかろうか。
当時 官邸を取り仕切ってゐたのは名うての知恵者であり、もっと 高等戰術を使ったのではなかろうか?
五十五年体制時代、法務大臣の椅子は 各派閥で奪い合いだったが、小泉ハイエク内閣では 存在感の薄い人や、大臣就任記者会見で、「私は死刑執行命令書に印は押しません!」と職務放棄宣言大臣、極めつけは看護婦出身の 高裁と最高裁の区別も付かない大臣等 多士済々。

 女性の後任は女性でと謂うだけの理由で 存在感抜群の田中眞紀子の後任の外務大臣に起用されたのが とびっきり存在感希薄な川口順子。 佐藤さんの表現を借りると 「インドネシア大使で終わりだったはずなのに、間違えて事務次官の椅子が回って来た」 武闘派野上義二事務次官の後任の竹内行夫。   なにをどうやったらいいのか、全く無為無策の大臣と 「外務省と謂う水槽の中の水をキレイにしてをく事にしか興味も能もない」ノンポリ次官で 官邸としては 「外交」そのものを取り込んで官邸主導、狙い通り さぞかしやり易かったことでしょう。    

即ち 官邸がとやかく指示しなくても、事務次官が自発的に部下に指示して、与党は勿論のこと、社会民主党や日本共産黨にまで意図的に外交機密を含めて情報漏洩操作。 辻本清美衆議院議員の国会質問に、古くからの熱烈な社會黨支持者である 佐藤さんのご母堂をして 「社會黨員はああいうやり方で他人をおとしめることはしない。 社會黨が一方的に弱い者を叩き潰すような政党になってしまったことが悲しいんだ。」と 涙を浮かべて嘆かせる。
マスコミはワイドショーでやんやの喝采。 検察は これで世論の支持・後押が得られたとばかり、別件逮捕でしょっ引いて締め上げれば国賊共の陰謀を一網打尽と踏んだことでしょう。

ところが しょっ引いた相手が悪かった。 襤褸が出るどころか、逆に 北方領土交渉過程に違法性の無いことを論理的に説明・説得されて 特捜も外務省にガセネタを掴まされたことに はたと気づく。 そればかりか、担当の西村尚芳検事まで味方に取り込んでしまう。
だからといって、一旦 国策捜査に着手した検察が メンツもあって目こぼししてくれる筈もなく、 結局 別件の「背任」 と 「偽計業務妨害」 で起訴という事になった次第。

その幕引きも不可解だ。  もうすっかり肝胆相照らす仲になった西村検事とのやりとりの部分を抜粋・引用してみよう。(國家の罠 P-344)

<< 取り調べがかなり進んだある日、西村氏はつぎのようにつぶやいた。
「この話を事件化すると相当上まで触らなくてはならなくなるので、うち(検察)の上が躊躇しはじめた。 昨日、上の人間に呼ばれ、『西村、この話はどこかで森喜朗(前総理)に触らなくてはならないな』と言われた。」 >>

2002(平成十四)年  << 八月二十六日、午後二時過ぎに独房の鍵が開き、いつものように取調室に向かった。 西村氏がにこやかに言う。
「これで佐藤優関係の捜査は終わりです。 御協力どうもありがとうございます。」

「唐突な終わりだね。 いったい何があったの。」
西村氏は、捜査が終了した経緯について率直に説明した。 この内容について、私は読者に説明することはまだ差し控えなくてはならない。 しかし、ひとことだけ言っておきたいのは、西村氏の説明が踏み込んだ内容で説得力に富むことだった。 >>

孰れ佐藤さんが 詳細を開陳することがあるのかどうか。  私の疑問は 検察の狙いがなんだったのか、どうゆう罪状で処罰せんとしてゐたのか?
まさか 「賣國奴ニ對スル國家反逆罪」 なんて罪名ではなかったでしょうね。

ところで、佐藤さんは 「國家の罠」 第五章「時代のけじめ」としての「國策捜査」 の中で、一時期 日本のシンドラーだとして世間一般の注目を浴びて 夫人の著書が一躍ベスト・セラーになった人の事に言及してゐる。

あれは 《お父さん》 が事務次官時代の事で、 事務次官の大反対を押し切って 当時 政務次官だった鈴木宗男氏が強引に 外務省飯倉公館でベスト・セラー夫人に 外務省のシンドラー氏に対する処遇の過ちを認めて謝罪したと謂うもの。

ワイドショー的価値観からすると 鈴木さんのおやりになった事は世間一般の賞賛を浴びる立派な英断であろう。  しかし 外務省体制派の頂点にゐる 《お父さん》 にしてみれば「唾棄すべき背信行為」で 勝手な振る舞いを 苦々しく思われたのではなかろうか?

優さんは 《お父さん》 のことについては一言も言及してゐないが、審議官を卒へジュネーブでの一回目の特命全権大使の任を無事に終えて、枝村純郎さんのあとを襲って 莫斯科モスコー駐剳特命全権大使ふくみで東京で待命中、村田駐米大使が 突然駐獨大使に転出と謂う異例の事態で、急遽 同期の栗山尚一事務次官が華盛頓駐剳特命全権大使として転出、その間隙に事務次官のポストを獲る。

前任者である 東郷文彦さんも 大河原良雄さんも、松永信雄さんも五年の任期を全うされてをり、事務次官経験者の村田さんが僅か二年ちょいで駐独大使に転任と謂うのも尋常ではない。  表向きの理由は、村田さんは「Deutsche Schule」の出身で英語が得意でなかったからだとされてゐるが、そんなこと最初から判ってゐたことだし、前任の 松永さんだって「Ecole de Francais」の出身で英語は苦手。 米国内で松永さんのTV interview番組が流されるときは、英語のテロップが付いてゐたといわれてゐる。

栗山さんと 《お父さん》 は 昭和二十九(1954)年同期入省ではあるが、事務次官が同期二代続くことも異例なら、同期とは謂え 栗山さんは大學中退入省だから學年次は後輩になる。 

川口順子大臣は任期中 「なにもしなかった」 ことに対する論功行賞で いまや比例区選出参議院議員。 毒にも薬にもならないと謂うのも 貴重な人財にはちがいない。 

佐藤さんは 著書「國家の謀略」 のなかで 次のように述べている; (P-77)

 <<1951年のサンフランシスコ平和条約第二条C項で、日本は南樺太と千島列島を放棄した。 (中略) 当初、日本は国後島と択捉島は南千島で、千島列島に含まれると解釈していた。  その解釈を1956年の日ソ国交回復交渉の中で変更し、南千島は千島列島に含まれないとした。 そして、歯舞群島、色丹島、国後島、択捉島の北方四島は、日本固有の領土であるという新しい神話を作った。 (後略) >>

 <<ソ連との関係において、日本は侵略された立場なのである。 この点から、日本の国力と国際秩序の安定に噛み合う領土神話を構築するというのがインテリジェンスの発想だ。 1991年4月に訪日したゴルバチョフが、北方四島の名前を明示し、領土係争があることを認めたので、1951年のサンフランシスコ平和条約での枠組みは超克されたと考えればよいのだ。 >>

さらに鈴木宗男さんとの対談 「北方領土特命交渉」 のなかで これを敷衍して; (P-85)

 <<当時の理解としては、「南千島」という言葉を使いながら、外務省の西村熊雄条約局長が 「千島のなかに国後島、択捉島は含まれる」と発言していることから考えて、当時の日本の発想に 「四島」 はなかったとするのが自然です。 (中略)>>

 <<「クリル諸島の範囲」、あるいは「千島列島の範囲」となれば、日本に不利になるのは明らかです。 はじめから 「四島は含まれている」と強弁するやり方は国際的に通用しないのですから、いつまでもこだわっていると日本は間違いなく損をする。 この点が日本の外務省や日本の北方領土返還運動団体には見えていない。>> (後略)

また 別の所では (P-180); <<大きな失敗であり誤算は、「二島先行返還論」などという誤解を生むレッテルを貼られたことです。 あたかも、国後、択捉はどうでもいいのだととられてしまった。 そうでなくても、当時から「現実的四島返還論」であることをきちんと伝えるべきでした。
そして、「四島一括返還などといっているのは、空想的四島返還論だ」とはっきり批判していくべきでした。 >> とも言っている。

何度 読み返しても 明確な頭の整理が出来ないが、要するに 「四島一括返還以外は国賊だ!!」 なんて 喚いてゐる奴らは国賊だと謂うことでしょうか。

結局 領土問題と謂うのは お互いに自国の主張を続けてゐる間は決着は望めづ、お互いに主張の一部を引っ込めて妥協する以外に解決の道はなかろう。 そこで参考になるのが 三十九年前、昭和四十四年(1969) 三月に 珍寶島で血を血で洗う死闘を演じた中露国境紛争が最近ようやく解決したと謂う事例である。

即ち アムール河(黒龍江)の支流、ウスリー河(烏蘇里江)の川中島、ダマンスキー島(珍寶島)の領有をめぐり 島を二均等分して国境線を確定すると謂うもの。  両国とも 国内の愛国主義者に大反発があったと謂うが、プーチン・胡錦濤が 右ばね、左バネを押さえ込む実力を発揮したと謂うことでしょう。

北方領土問題を動かすためには僕たち外交官の力だけでは無理だ。 それには日本の政治家と政治部記者を巻き込む必要がある。

これは 佐藤 優さんの本音。 加えて 強いリーダー・シップを持った指導者が不可欠。 露西亞側にプーチンがゐる間に、 日本側に一日も早く 日本のプーチンの出現を望む。  然らずんば、百年たって 一島も日本には帰ってきませんよ!!  

平成二十年八月十五日 北方領土不法占拠六十三年目の盛夏

主要 参考ならびに引用文献;

「國家の罠」 外務省のラスプーチンと呼ばれて  新潮社  初版  二○○五年三月二十五日
「自壊する帝國」  新潮社  初版  二○○六年五月三十日  

「國家の自縛」  産經新聞出版  初版初刷  2005年9月30日

「日米開戰の眞實」 大川周明著「米英東亞侵略史」を読み解く  小學館  初版  2006年7月1日
「國家の謀略」  小學館  初版初刷  2007年12月4日

「私のマルクス」  文藝春秋社  初版初刷  2007年12月10日
「インテリジェンス人間論」  新潮社  初版  二○○七年十二月十五日

東郷和彦著  「北方領土交渉秘録」  失われた五度の機会  新潮社  初版初刷  2007年5月25日
鈴木宗男・佐藤優  「北方領土 特命交渉」  講談社α文庫  初版  2007年12月20日

「週刊文春」  2456  平成十九年十二月十三日號

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