NHK スッペシャル 『眞珠灣の謎 悲劇の特殊潜航艇』 を視て。
 
同じ映像を繋ぎ合わせても 視る角度、焦点の当て方でシナリオはどうにでも書ける。
流石は NHK、今回の番組は 塩田 純チーフ・プロデュサーの好み通り美事に仕上がってゐる。
 
1.  淵田さんが赤城に帰艦直後に書いたと謂われる『布哇海戰對水上艦船戰果圖』を見ると「B アリゾナ/ペンシルバニヤ型」 「F」にも同じ記載があり、「186米」の注記がある。
「B」は八十番三發命中と大破を示す三本線、「F」は魚雷12本命中と撃沈を示す×印が見える。 艦型は艦全長から判定したと思われる。
 
USS ARIZONAが八十番水平爆撃による轟沈である事は周知の事実であるが、日本でその事実が確認されたのは戰後の事である。   二十世紀狐映画「トラ・トラ・トラ」にも その場面は詳細に描かれてゐるが、八十番命中、瞬發・大爆發の印象が強すぎて淵田さんの記憶を変えたのかも知れない。
 
戰後に書かれた 淵田さんの「手記」が 今回映像の 「決定的必殺の役目」を果たしてゐるが、一方の当事者であり一期先輩 兵科五十一期の有泉龍之助大佐は第一潜水隊司令として20.08.29 (20.08.30/31 との説もある) 伊401潜を無事 母港に帰還させたのを見届けて艦内で拳銃自決を遂げてをられ、死人に口なしの一方的欠席裁判である。
 
幸いにも戰史叢書「ハワイ作戰」の執筆者は軍令部がどうして横山艇の戰果だと判定したのかについての経緯を書き残してくれてゐる。(P-399 - 403)
また 大本營海軍部は当初「戰艦二隻轟沈、戰艦二隻大破」としてゐた戰果を十二月十三日になって「・・・其後ニ至リ撃沈確実トナレル他ノ一隻ハ第一戰艦戰隊旗艦『アリゾナ』ナリト推定セラル。・・」と訂正してゐが、これは主に米國側の發表を参考にして訂正したもので、大本營發表に 「誇張・捏造意圖」 は微塵も感じられない。(P-473 - 476)
 
平出英夫海軍報道部長の「・・・就中夜襲ニ依ル『アリゾナ』型戰艦ノ轟沈ハ・・」の映像は翌十七年三月六日午後三時發表のものであるが、『・・ 斯クテ、御稜威ノ下、天佑神助ヲ確信セル特別攻撃隊ハ、・・・』に始まる全文には整合性があり 結果的に「間違」であったが、当時得られた限られた情報を基に けっして「捏造」の意圖はなかったものだと確信する。
 
植田一雄さんも嘗ての兵科士官なら「戰果捏造」だと非難する前に 何故「誤解」が生じたのか ご自身で経緯をお調べになって欲しかった。 その上でなお「捏造」だと判断なさるなら異議は申しません。
 
2.  映像の中で、「・・十七年前に偶然見つけ・・」の日本語のナレーションに続きHURLの Terry Kerbyさんの「could'nt (see conning tower) before.」のdialogueが重なる。
 
以前 日系旅行會社の「スキューバ・ツアー」のweb-siteに「ハワイ沖水深300M」として寫眞が掲載されてゐた事がある。  位置を問い合わせたところ「無償では教えられない!」との事であったので調べを断念したが、その後siteそのものが削除された。
 
 
3.  12月 7 日付けのLosAngeles Timesが、特殊潜航艇がUSS West VirginiaとUSS Oklahomaの雷撃に成功した旨の「パークス・スティーンソン」氏の分析結果を報道してゐる。
 
この話、Naval History Magazine 1999/12號に掲載されたCommander John Rodgaadの「Pearl Harbor - Attack from Below」の二番煎じなのだろうか?
National Geographics社が莫大な費用を掛けて再現実験をやり、否定的結論が出てゐるのだが。
 
4.  NHKテロップは「パークス・スティーンソン」だが映像で見るかぎりMr. Parks STEPHENSON によく似てをられる。
 
Stephenson氏のweb-siteに 「 LAUNCHING 5 JANUARY 2010 」として何やら重大發表の豫告が掲載されてゐる。
 
一月五日という日付になにやら意味ありなんだそうです。
 
百家爭鳴、百花繚乱、諸説芬々、魑魅魍魎、これこそ『 眞珠灣の謎 』ですが 諸説あるは関心の高さ、議論の盛んな事は結構なことです。
 
所見・雑感;
 
1) 疑問解消
 
05:34amに 二本の魚雷を撃ち尽くして 「トラ・トラ」を発信する 18:11pm までの十二時間余、なぜ母艦との会同地点へ向かわず湾口にゐたのか?  「送りオオカミをさけんがために 最初から決死・必死の出撃だった!」との 出羽吉次通信兵の証言で納得がゆきました。
 
2) 『トラ・トラ』
 
戰史叢書「ハワイ作戰」P-399 には 『「伊十六潜」は、八日一七○六から一九一七まで、同艦の特殊潜航艇と確実に通信連絡あり。 一八一一「トラ・トラ」の電報を受信し、・・・』 とあるが、実際には 『キ  ラ』 (ー ・ ー ・ ・) 只一語だったとの出羽さんの貴重な証言が得られた。
 
3) 九軍神
 
國民學校一年生の時 女子師範學校を出たての阿部先生に 繰り返し「クグンシン」の英雄傳を頭の中に叩きこまれた。  ナレーターの「キュウグンシン」に違和感を感じたが、記事を書いた門田圭三老朝日記者の「キュウグンシン」に 「キュウグンシン」の方が正しいのかとも思ったが、三つ子の魂 私の耳朶には「クグンシン」が焼き付いて離れない。
 
(2009/12/13 追記)
 

信頼すべき消息筋からの情報によると、眞珠灣攻撃に参加した特殊潜行艇五艇の内 最後まで消息不明であった最後の一艇の所在が判明したと謂う。

情報によると、この最後の一艇の魚雷は二本とも發射されてをり、艇體は四個に分断されてゐると謂う。
魚雷が發射されてゐると謂う事は現地時間 10:04 USS St. Louis に向けて魚雷を發射した艇に違なく、日本時間 18:11 『トラ・トラ』を母艦に向けて發信した 横山 正治中尉艇である蓋然性が極めて高い。

日本時間 20:21 『航行不能』 を打電の後 自爆したものだと考へられる。

詳細は今年の 大詔奉戴日記念特集番組として NHK から放映される予定だと仄聞する。
放映を俟ちたい。

(2009/10/03 追記)

十二月六日(日) NHK総合 9:46 - 10:35pm NHKスペッシャル
『眞珠灣の謎  悲劇の特殊潜航艇』
放映決定。

Naval History Magazine(米海軍史誌)1999(平成十一)年12月號に掲載された「Pearl Harbor - Attack from Below」by Commander John Rodgaard (豫備役海軍中佐 ジョン・ロッドガアド筆「眞珠灣ー海底からの攻撃」)は衝撃的反響を呼び、一時期 横山正治中尉艇が戰艦West VirginiaならびにOklahomaに45cm九七魚雷を命中させたものだと信じられるに至った。 これに基づきNational Geographics社は 最新の探索機器を使って戰艦繋留域對岸を くまなく捜索したが なんの手掛かりも得られず、さらに 大がかりな再現實驗の結果、水中からの魚雷攻撃は ほぼ誤認であるとの結論に立ち至った。

六十三年目の攻撃記念日を前に 本稿は最新の情報により 以下の通り改訂の上 讀者のご叱正を仰ぐ事と致します。

2004/11/11 改訂復刻。

九軍神の乘艇は いまいずこ?

布哇眞珠灣攻撃に參加した特殊潜航艇 甲標的五隻の内 捕虜第一號となった酒巻少尉艇はジャイロコンパスの故障で眞珠灣とは遠く離れた オアフ島東岸のBellows beachで座礁し、戰後 昭和三十五年に眞珠灣口外で引き揚げられた一艇は日本に返還されて江田島の海上自衛隊第一術科學校校庭に展示されてゐる事はよく知られてゐる。

さらには 2002(平成十四)年8月 ハワイ大學海洋調査研究所 (The Hawaii Undersea Research Laboratory) により 驅逐艦USS Wardの砲撃で撃沈された一艇を 眞珠灣口南々東 水深1,000ft(約300米)の海底で發見。

本稿は最新の情報をふまえて 現在の五艇の所在を それぞれ檢證してみます。

特別攻撃隊の編成と作戰。

第六艦隊 第一潜水戰隊司令官 佐藤 勉少將(兵40) 旗艦 伊號第九潜水艦
特別攻撃隊指揮官 第三潜水隊司令 佐々木半九大佐 (兵45) 乘艦 伊號第二十二潜水艦

母 艦 甲標的艇長 艇長付 發進時刻日本時間七日
(括弧内現地時間)
發艦位置
伊號第二十二潜水艦 岩佐直治大尉 佐々木直吉一等兵曹 2046 (0116) 灣口171°9浬
伊號第十六潜水艦 横山正治中尉 上田 定二等兵曹 2012 (0042) 灣口212°7浬
伊號第十八潜水艦 古野繁實中尉 横山薫範一等兵曹 2145 (0215) 灣口150°12.6浬
伊號第二十潜水艦 廣尾 彰少尉 片山義雄二等兵曹 2227 (0257) 灣口151°5.3浬
伊號第二十四潜水艦 酒巻和男少尉 稲垣 清二等兵曹 2303 (0333) 灣口202°10.5浬

甲標的の水中巡航速力は4-6ノット程度であり發艦地點から灣口まで2-3時間を要したものと思はれる。
豫定では現地時間七日 日の出前に灣口から水道を北上して着底待機 七日の夜間にフォード島を反時計回りに潛航しながら魚雷攻撃の上 灣口から脱出する事になってゐた。 しかし 搭乘員の熱誠に 出撃直前になって航空攻撃開始以降 適時の攻撃が黙認される事になった。

米國側の記録。

米海軍の記録を最も詳細に纏めたものが ゴードンW.プランゲ教授の「トラ・トラ・トラ」であり これに加筆修正を加へた成果が「At Dawn We Slept」である。 酒巻艇を含めて各艇の戰鬪状況を詳述してゐる割には それ以外の艇については誰の乘艇であったのかの断定は避けてゐる。 プランゲ博士の結びつけは主に發進位置と發艦時刻を根據にした推測であるが それを時系列に簡潔に纏めたものが以下の表である。  時間は孰れも十二月七日現地時間。

時間 米國海軍戰鬪記録にみる事象竝に行動 プランゲ博士の推測 牛島秀彦説 筆者推測
03:42 掃海艇コンドル(Minesweeper Condor)が灣口附近 (1-3/4 miles
south of the entrance buoys) で潜望鏡らしきものを發見。
驅逐艦ワード(USS Ward)に"Sighted submerged submarine
on westerly course. Speed nine knots" と發光信號。
新任艦長 Lieutenant William W. Outerbridge は約30分 
附近を搜索するも何も發見出來ず。
横山艇 横山艇
06:30 大型艀アンターレス(Antares, a stores and supply ship with
a lighter in tow)が入港のため曳舟待ちのところ船長
(Commander Lawrence C. Grannis)が不審物を發見、
(spotted a suspicious-looking object about 1500 yards
on starboard quarter)驅逐艦ワードに通報、艦長
アウターブリッジ大尉は06:40総員戰鬪配置、前進全速を下令。
06:45左舷砲戰 撃ち方始め (about fifty yards abeam
the intruder)で第二彈を司令塔下部 (at the waterline,
the junction of the hull and conning tower)に命中、
右舷に傾き減速しながら沈沒。(The craft heeled over
to starboard and appeared to slow and sink.)さらに爆雷
(a full pattern of depth charges set for about 100 feet.)
を投下。
廣尾艇 廣尾艇
又は
古野艇。
江田島へ
返還された
艇だと謂う。
廣尾艇(または古野艇)
ハワイ大學海洋調査
研究所により發見
された艇
魚雷は二本とも装填、
未發射の儘。
07:03 驅逐艦ワードがソーナーで潛航艇を探知し これに爆雷
攻撃を加へる。 油の泡が海面に浮かび上がり撃沈確實と
認められた。
(甲標的には重油は搭載されてをらず、海底が珊瑚礁の淺海
での爆雷破裂で海底の泥を巻き上げたものを誤認したものと
思はれる。)
古野艇 古野艇(または廣尾艇)
江田島へ返還された艇
引揚時、魚雷は二本共
装填された儘。
08:40 フォード島の北方海面、パールシチィーとの間で行動中の
潛航艇から水上機母艦カーティス(Seaplane tender Curtiss)に
魚雷一發が發射され、カーティスの反撃で5”砲彈と .50 calibre
(12.7 m/m機銃)が司令塔に命中、 更に驅逐艦モナハン
(USS Monaghan)に對しても魚雷發射するも衝突された上に
爆雷攻撃で撃沈される。
(プランゲ博士の推論は 06:30と重複するが 廣尾少尉の性格
からどちらかの艇であらうとするもの。)
廣尾艇 岩佐艇 岩佐艇
10:04 巡洋艦セントルイス(USS St. Louis)は水道入口で二本の雷跡を
發見し同時に魚雷發射により艇首が浮き上がった潛航艇に
砲撃を加へ 司令塔付近に命中を認める。
岩佐艇 横山艇

米軍側の特殊潜航艇による攻撃の記録は この10:04を最後に終はっている。 後述の横山艇による襲撃の記録はない。
  尚 航空攻撃の方は 07:40「ト連送」 07:53「トラ・トラ・トラ」で 第二波攻撃終了が 09:45。

ハワイ大學海洋調査研究所により着底位置を確認された艇に関する

Honolulu Star-Bulletin紙2002/08/29インターネット版記事からの要点摘記。

所在位置 眞珠灣口南々東 水深1,000ft(約300米)の海底。  司令塔右舷から左舷への砲彈貫通痕から0645 USS Ward の砲撃で撃沈されたものと特定される。  魚雷は二本とも装填されたまま。
  なお 同紙にはDec7 0640am, 0645am, 0646am, 0647amにをけるUSS Antares, USS Ward, Spotter Plane、特殊潜航艇の それぞれの位置がplottされてをり、さらには砲彈命中位置から沈没着底位置が推記されている。 

筆者の推論。

1. 岩佐直治中佐艇; 昭和二十二年三月 大尉の第一種軍裝袖章が箱に収められて米國海軍からご遺族に返還され、その後 東京オリンピックが開催された年の大詔奉戴日に ご遺族から靖國神社に奉納されてゐる。 佐々木半九大佐の手記によると「飛行服」を着て悠然と出撃したと謂う。 その下に 第一種軍裝を着用してゐたものと思はれる。 0840驅逐艦モナハンに撃沈された艇は 戰時中に潜水艦基地に引き揚げられたが損傷が酷く(Her tail section was knocked askew and her hull was heavily washboarded by depth charges.)そのまま地中に埋められたと記録にあるが 後世檢證の為に艇長の軍服の袖章を切り取って保管していたものと思われる。 唯一 大尉の袖章であり岩佐艇だと特定出來る。
米海軍戰鬪記録では司令塔に Curtissの5 inches砲彈が命中、艇長戰死、(The submarine has a 5-inch shell hole through the conning tower, which killed the captain. He was blowen into a mass of crumpled steel.)さらにMonaghanに衝突されて 爆雷攻撃で艇前部を大破とある。 引き揚げられた時の寫眞を見ると司令塔に砲彈貫通痕があり 艇前部よりも むしろ 後部が洗濯板の様にグジグジャ (heavily washboarded)に破壊されてゐる。 1952(昭和二十七)年になって基地擴張工事ですっかり忘れられてゐた艇を掘り当てたが塩素瓦斯(leakage of chlorine gas)の發生がひどく 御遺骸と共に 再度 そのまま埋め戻されたと謂う。(The hull was reburried, and there it remains today-with the crew still inside.) 合掌。

2. 横山正治少佐艇; 同艇と母艦は日本時間八日1706-1917(現地時間七日2136-2347)の間確實な交信があり1811(2241)「トラ・トラ」(ワレ奇襲ニ成功セリ。)を發信、2021(八日0051)「航行不能」を最後に消息を絶っている。  1004灣口で巡洋艦セントルイスに魚雷を發射し「トラ・トラ」と戰果報告をしたものだと考へられる。 しかし實際には二本の魚雷はリーフに当たって爆發。
艇體は 今日に至るも未發見。

3. 古野繁實少佐艇; 防潛網は0458から0840まで開きっぱなしになってゐたが0630以降は警戒嚴重で 同艇の發進時間、發艦距離からして灣内潛入は果たせなかったものと思はれる。 昭和三十五年(1960)七月十五日 米海軍は眞珠灣口外1.6浬水深40米の海底から一隻の特殊潛航艇を引き揚げ 翌年 我が國に返還、現在 江田島の海上自衛隊第一術科學校に展示されてゐるのが この艇である。 同艇には着彈の痕はないが 推進器に爆雷によるものと思はれる軽度の損傷がある。 また 魚雷も發射されずに裝填された儘 引き揚げられてゐる。  次ページの新聞記事抜粹によると 引き揚げ時 艇内には乘組員の姿はなかったさうだが 消去法でこの艇が古野艇だと略々斷定出來るのであるまいか。

4. 廣尾 彰大尉艇; 記録では0645驅逐艦Wardに撃沈された艇の沈沒位置は水深400米 (sank in 1200 feet of water)となってゐるが 司令塔に50calibre4-inch砲彈が命中し 艇長は潜望鏡を握ったまま即死、操縱員は攻撃を遁れようと最大戰速19ノットで 必死に操縦桿を操作して 水深300米のところまで疾走(glided for miles)、魚雷装填の儘 沈沒着底したものと考へられる。

至近距離45米右舷眞横からのblank-zero射撃であり 今回沈没位置が特定された艇には司令塔に右舷から左舷に貫通した着彈痕が確認されている。
廣尾少尉、片山兵曹の御遺骸は艇内に そのまま残されているものと思われる。 合掌。

5. 酒巻和男少尉艇; 無傷で鹵獲され 戰時中は戰意昂揚と戰時國債募集の爲 他の一艇とともに全米を巡回させられたと謂はれる。  戰後永らくフロリダ州キーウエストの名もなき公園に展示されていたが その後テキサス州フレデリックスバークに移されて 現在は同地の「チェスター・ニミッツ提督記念太平洋戰争博物館」に展示されている。

上記は私の推理、推論であり御異論、御異見を是非お聞かせ下さい。 (2001/07/25 初出)(2001/08/18改)(2002/09/01改訂)(2004/11/11再訂)

メール住所 MAIL to; cinccombinedfleet@yahoo.co.jp

參考竝に引用文獻;
戰史叢書「ハワイ作戰」 防衞廳防衞研修所戰史室 昭和四十二年
戰史叢書「潜水艦史」 防衞廳防衞研修所戰史室 昭和五十四年
「トラ トラ トラ」 Gordon W. Prange, The Reader's Digest of Japan 1966
「At Dawn We Slept」 by Gordon W. Prange, McGraw-Hill 1981
「Air Raid: Pearl Harbor」 edited by Paul Stillwell, Naval Institute Press, Annapolis 1981
「Pearl Harbor」 by A.J. Barker, Ballantine Books, N.Y. 1969
「Pearl Harbor」 by Scott C.S. Stone, An Island Heritage Book 1977
朝日新聞縮刷版 昭和三十五年七月
「九軍神は語らず」 牛島秀彦 講談社 一九七六年十一月 初版
Honolulu Star-Bulletin 2002/08/29インターネット版



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