宰相 鈴木貫太郎

毎年八月十五日が近づくと TV各社は 一齊に終戰特集を放映する。
玉石混交、殆どが既知の事柄の繰り返しで、中には メロドラマ仕立ての視るにたえないものもある。

就中 鈴木貫太郎特集がめにとまった。
内容的には既知の事實の重複で、うつらうつらしながら視てゐたが、突然 パット目を醒まされた。

腹心の迫水久常内閣書記官長に(陸軍を御するの心構へとして) 『小魚を煮るのに 鍋の中にあまり箸を突っ込んで引っかき回すものではない!』 と謂う意味の諫言があったと謂うくだりである。

原文も出典も聞き漏らしたが、おおよその見當をつけて、先ずは;

小堀桂一郎 『宰相 鈴木貫太郎』 文藝春秋社  昭和五十七(1982)年

を調べてみた。

あった、あった。 四 「腹  藝」  P-147;

治大國若烹小鮮     (大國ヲ治ムルハ 小魚ヲ煮ルガ斯シ)

出典は「老子」で 詳しい經緯が綴られてゐる。


原典「老子」第六十章は;

治大國若烹小鮮。 以道蒞天下、其鬼不神。 非其鬼不神、其神不傷人。
非其神不傷人、聖人亦不傷人。 夫兩不相傷、故徳交歸焉

であるが、引用文は なぜか 『治大國若烹小鮮』 となってゐる

察するに 筆者は幼年 「大國を治ムルモノ 小鮮ヲ烹ルガ若シ」と暗記してゐて、これを 漢文に復するにさいし、無意識に「」が飛び出したものだと考へられる。
聊かの漢籍の素養あれば 斯かる間違ひは起こらぬものなのだが。

爲念 迫水久常「機関銃下の首相官邸」(新版、 一九九二年 第七版第三刷 恒文社)を調べてみたら、『治大國若烹小鮮』となってゐる。
或ひは ここからの引用かもしれない。  孰れにしても 比較文學者らしくない、原文への考證を怠った結果である。

他にも 文中、二、三 あきらかな誤記述あり。

肝心な 男爵 鈴木貫太郎海軍大將の經歴について;

「・・・外國駐在武官の經歴も長く、海外で公務を履行した經驗も豐富な鈴木氏は、・・」 (P-76)とあるが、鈴木提督の經歴の中に「駐在武官」はどこにも記録されてゐない。

しいて海外での勤務經驗を探すなら、少佐時代の明治三十四年から二年間の獨逸駐在と 大正七年 練習艦隊司令官として北米を巡航したことである。

後に 第八十七臨時帝國議會で「天罰發言事件」として大問題となる演説は;

  大正七(1918)年 鈴木貫太郎海軍中將が 練習艦隊司令官として 海軍兵科第四十五期生徒を率いて桑港に立ち寄り 大歡迎を受けた際、即興で試みた一塲のスピーチで

海軍きっての秀才、練習艦隊參謀 佐藤市郎海軍大尉が 逐條通譯にあたってゐる。

「・・・この佐藤大尉とは岸信介、佐藤榮作兩氏の長兄にあたる人で、若くして死んだが、・・・」(P-91)

これまた、明かな誤記である。

海軍兵學校第三十六期、海軍大學校甲種第十八期クラス・ヘッド 佐藤市郎海軍中將は

昭和十五年、旅順要港部司令官を最後に豫備役編入となってゐるが、戰後の昭和三十三(1958)年 六十八歳で歿するまで 長壽を全うされてゐる。

兵科第三十六期と謂へば、澤本頼雄、塚原二四三、南雲忠一(戰死後昇進)の三海軍大將を出したクラスであり、そのクラス・ヘッドなら 大東亞戰史を華々しく飾る筈なのに、と 事實考證を省略して鬼籍に入れてしまったものらしい。



執筆當時、筆者は 四十臺後半の東京大學教養學部助教授で、五十を過ぎてから教授に昇任するも 在職十年に滿たずに定年退官。 それで名譽教授とは かなりなやりてにちがいない。

東京大學文學部獨逸文學科では 西尾幹二氏と同窓(西尾氏は 二歳年少)だとかで、渡部昇一氏等と同床の仲間か?

ご専門は 比較文學・比較文化で、當時の ニューヨーク・タイムス、ワシントン・ポストの記事を始め、得意の獨逸語をいかして 新チューリッヒ新聞、バーゼル報知等の新聞記事、戰後の 内外の研究論文はもとより、木戸日記、細川日記 等々 幅廣く資料・文献を渉猟、比較檢討を加へた 勞作、力作ではあり 大作である。

が、 足許の部分の考證を怠った點で 『畫龍點睛ノ妙』を缺くを否めず。


ところで、老子 第二十章に;

絶學無憂   學を絶たば憂い無しとある。

 これは 將に 私への 箴言であろう。

2015/08/21 盛夏の鎌倉にて擱筆



參照文献;  岩波文庫「老子」 蜂屋邦夫譯注


追記;

『以徳報怨」  これは 今の今まで  蔣介石總統の言葉だと信じて 記憶してゐた。


老子 第六十三章;

爲無爲、事無事、味無味。      ス無キヲ爲シ、事無キヲ事トシ、味無キヲ味ハウ。
大小多少、報怨以徳。         小ヲ大トシ、小ヲ多トスル、怨ミニ報ユルニ徳ヲ以テス。

老子 第七十九章;

和大怨、必有餘怨、          大怨ヲ和スルモ、必ズ余怨有リ
報怨以徳、安可以爲善。       怨ミニ報ユルニ徳ヲ以テスルハ ゐづクンゾ以テ善トケンヤ。


(2015/08/23 落雀ノ候  追記 於鎌倉)

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