越後長岡坂之上町三丁目 山本記念公園

平成二十六(2014)年十一月五日撮影


祇園精舎の鐘の音 諸行無常の響きあり
沙羅双樹の花の色 生者必滅會者定離

京都・大原 清香山玉泉寺 寂光院

  

 

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山本五十六 異聞 「壇之浦夜戰記」 餘話

阿川弘之の名著 「山本五十六」 第七章 ー 八 ー に < 昭和三年の暮から十ヶ月間、その艦長の職に在った間、山本は「赤城」の艦長室で 『壇之浦夜戰記』 を、習字のつもりでせっせと書寫し立派な寫本を作り上げた。  ・・・> と謂う一節がある。

阿川原文は 「壇之浦夜戰記」 なので これと 同一のものかどうか判らないが 手書きの 「壇之浦夜合戰記」 を見つけたので、書寫 ご笑讀に供する。 

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   壇之浦夜合戰記
永萬永安の榮華の音 (ね) もう多か多のはかなき夢と消ゑ多れば昨日は南海に漂いて今日また西に壇之浦春三月と云ふからに都の花をよそにして高麗契丹のはて迄も帝を擁し奉り又來ん春を迎へんと堅き契りを一族が結ぶつらさ浦風の飄々として鴎さい阿がき亂るゝば可りなり。

さる程に東國勢の戰船舳艫 (ぢくろ) をふくんで攻め寄せれば平家の総勢全く潰へ右往左往に亂れけり。 左ヱ門尉乘輿 (さえもんノじょう じやうよ)のある所を知りて軍を合せて攻め立てしに此時知盛 (とももり) 本船に乘り移りければ女官上臈達走り寄り如何になり行くらんとことゝゝに問ふ知盛笑って『早や事果てしぞ御身達の東國男子の云ふがままにならんずるもはや目のあ多り』と叫びて海に投じて果て給ひ皆々驚き悲しみしどろもどろの有様なり。  嗚呼萬乘の尊さに生まれ給ひて斯る悲しみを見給ふとは。 二位の尼は今は是迄なりと思いけるが幼帝を擁し海に入り奉れば建禮門院太后も續いて海に投し給ひける。

汐風繁き荒浪も無情の風の吹きさひてけに貴賤高下のけしめなきうつし世の淺ましと云うも斯程にやとあわれなり。
東國兵寄り集ひ太后を水中より釣もて救ひまゐらせ數多の女官達供として義經の座船に移し奉るに太后いよいよ悲しみ深く天人の五衰もかくやと拝す。

義經いろいろと御いたわり申上げ御前に進み「院宜を拝し平家追討の大命を蒙りたれど臣は固より貴人を害ふを慮り家臣の者共にも此旨特と申聞け置きたるに今日の有様に辛じて太后を御救ひ奉りしはせめてもの喜びと人生再び生を得る事なし生ありて後憂を轉ずべしとか今日の御歎きもさる事ながら義經かくなる上は後の日の御安きぞ計らひ奉らん御歎きのあまり御心たつきの起りては義經の心くばりも水の泡先づ先づ御心平らかに」と申し上ぐれば侍臣も交々御慰め奉れり太后落ち行く末を御思ひやり給へば潜々として御袖をうるほし給ふ。

義經女官衆をしげしげ見やるに九重の雲深く宮仕へして粉脂の余香深く、げに謂はん方なきも何れ比らへん花もなく太后の獨りしほしほと雨になやめる海棠に風情極りて目出度ければ心も春の意馬心猿。

さては自ら思ふ様それ男子は上燕  (じょうえん)  を欲し女子は下淫を好む。 我れ后に見へんは今日又なき機ならんと侍臣に耳打ちしたりけり。
 やがて酒肴など取出し酒宴を張り太后を慰め奉らんと言上す。

義經盃をあげて太后にすすめ 「酒は愁を掃ふもの鈞歎鈞と申せば一口とも召上がらせて御憂を晴らさせ給へ尚又御言葉一ツ賜りて如何許り能きに取計ひ申すべきにいざ過されよ」

侍臣も共に御勤めまいらせけり義經又女官衆に打ち向はれ「御身達今日こそは打寛ぎ酒まいりて歡を鈞らうに打解けてこそ義經よきに計らはん」
必ず心を安らかにしてのふ御意承り如何ばかり嬉ばしう。 女官達もやがて衰れに興を上げんとする心根のしほらしともしほらしければ義經更に諸臣に申す様 「今日は捷軍の祝にて日頃の戰苦を勞ふ酒宴ぞやがて鎌倉の恩賞あらうに能きに飲めや」 侍臣喜び勇みて盃を重ね御樂朗らかにげに修羅の巷の名残晴れ行く空の心地よさに太后尚も御愁顔にて唇を閉ぢ給ふを拝し女官衆心遣ひて左衛門尉殿の御心遣ひなればまげて御心を慰め給へと色々に御勸めかしずければ太后好まざるにあらざれば杯のめぐる程にすごしけれども心の中物かくして酔ひの出で給はず勸めらるまゝに重ねて參らせけるに冨士の御額に春の花霞ほのかにつゝましく物ほしげに見え奉る。

義經大杯を辨慶賜ひて辨慶こそ強者と云へど此の盃三度あぐるや、君の仰せ怨めしう存知ます、辨慶死も覺悟の上ぢやに酒の如き辨慶杯をあぐる大鯨の百川を吸ふが如し鮮かのふ、皆もまいらう辨慶起ちて舞はんとすれば女官ひとしく手拍子して歌ふ辨慶更らに歌ふて花やかに咲きも揃いし御風情げに櫻狩り花ならで言葉解す花を得んなら伽凌頼迦 (かりょうらいか) の音にまがふ囀ずる鳥の名は何にぞ鳴呼花よ鳥よ手折らめや逐ふてみんや・・・・

一座手を打ちて笑ひければ此時太后も始めてほゝ笑まれ恰かも櫻花蔀蕾の春風に綻び半點の花辨笑みを含むに似たりけり、はや座も亂れ果て、男女の居住いもしどろもどろに淫らなりければ義經鬮 (くぢ) にて合はさんと鬮を作り手つから開き見て「龜井は藤の局ぞ、片岡は橘の内侍、伊勢は紅梅式部するがい夕顔の前さて武藏は先程より唯ならぬ存じよりの程を察したれば粹をまねり荻の局を合さん、男は戰の勞苦を又女は日頃の憂きに悩みしことなれば今日こそ憂を散じて樂めよ」

辨慶の星を打たれて恐縮の態なるを皆々笑い興じつゝ手を取り合ひつ御前を下ればいと静になりて義經もそゞろに轉寢しける。
辨慶は君を思ふ心の醉ども忘れず宿直の心して次室に下り荻の局と打ち臥したり。
荻の局は醉の氣も浮くばかりにしていと都子たる聲の喃々手に取るばかりなり。
「よしそれでは参らう ・・・  こうして ・・ それどうぢや」 綿々つきざらんとすやがて局は漸く聲を高ふし太息を吐き「ア・・・ア・・身は實に七ツ道具を使ふよな始め指を使ふ折には鈎(かぎ)の様に入れるは槌を以て打ち込む様に開く時には斧の様又心行く許り突込るゝは鏨(たがね) や錐(きり)のやうに腰を使へば鉋(かんな) の様に行き流る アゝモウ・・・妾・・・アゝモウ・・・ヨ・・・ヨイゝゝ死ぬるゝゝ死・・・死ぬ・・・」
「オ・・・吾等の事より御身のものは格別の味が御座る御身は仲々したゝか者よな」

實に鼻息き雷にも似て氣息き嵐の如し忽ち深く呻めいて止みぬ。 やゝあって辨慶の聲として「アゝ生れて初めて斯程よき思をしけるが、吾等は天魔の襲ふたのか、いやもう八尺の身體が溶ける様な有様、女は最早禁物で御座る。」と傍にドウとおりる音して其のまゝ深く眠りけり。 世に辨慶の生涯一度の色事と云ふとかや。  唐歌に云はずや始めあらざるなし能く終りある事鮮かと夫れ若き身空に後家を守る者三十二至ルは稀なるべし。  又古語に女酒を蒙らば春心類りなりとかまして淫聲の耳に至るなんぞよく堪へんや。

太后机に倚り御打沈み獨り言給ふやう「妾先帝に別れ奉りてよりはや三歳、汐干に見えぬ沖の石の涙の痕の乾く暇なきに今また此の憂にしずむ女達の妾が心を哀れむさへなくおのがじゝ愁を晴らさんとて聞くに堪えたる醜聲ア・・・」となげき給へば、義經ふと目を覺し衣絞をつくらひうなずきて「臣太后を慰め奉らんとして宴を張り己先ず醉ひ何の手立ても仕らず却って御寂しみの結ばれ解けぬげに拝しまつるは唯恐縮。 いざさらば更に召されて。」 と義經の杯洗って奉るに太后は物うげに打ち見やり「はや醉も堪えぬ程に納めてや」  「太后酒に堪えざる由さらば何ぞよきものを堪え得る程に參らせい先づ酒一ツ奉りたく。」 と義經すり寄りて御手を取り「今日の酒宴は何の用意も無ければ興を添えん由なかりしがせめて臣が情の厚きを受けさせられ酒の機嫌に御憂をも拂不べきと臣の心の内憐み給ふ事もならで・・・」

太后手を掃ひのけ御氣色凛々しく宣ひけるは「古語にも男女七歳にして席を同ふせずとかや妾は囚れの身にはあれど帝者の母武臣のそちが見てさい物のゝゝしきに妾を儘(まま)にせんとや口惜しやのう」 ひたぶるによゝと御歎きあれば義經笑を含み「げにも仰せの次第今日は貌を拝する身の譽れと只恐れざるに鸞鳳籠神に入れば只一園丁の手中のみ能く飼はんも亦炙り殺すも其の意に任ずるとか今矮船席之別の所なきまま此咫尺を侵し奉るいはれ臣別に深慮のありての事先づ御聞へ申さうづるに臣生れて二年父を失ひ兄弟幼けなく母と大和の龍門の里に逃れけるが詮索の嚴しゆて母は自ら斬に赴き故に小松内大臣の御情により元と源氏と宿怨あるにあらず君命休むを得ざるのみ宜しく思を垂れ徳を施し諸源の遺子をして怨を我子孫に遺さしむるべからず況や嬰孫未だ黒白とも今見えぬれど様々に故相國に請はれければ漸く母は故相國の妾となり臣等は斬を免がれ申したり。 臣東へ下る折も大藏郷へ伺候せしに故大臣の鴻恩忘るゝなよと御教へ臣此の言骨髄に徹して其の徳に報いまつらんと思ふ心日として忘れず兄頼朝の今日あるも池の尼の請ひに依る事ながらこれ又故小松公の御諫めるを添へたる所、一族の今日あるも全く故内府の賜りもの鳴々今故小松公に報ふるに由なき維盛(これもり)中將に即ち小松公の嫡子せめて中將に日頃の志を報へんとするは臣が心遣ひ陣を衝けども中將に迫らず逸するも顧ず中將潜かに熊野に逃れたる由聞き及びしも捨てゝ索むる心なし今又太后を救ひ奉りたるは彼地へ移しまいらせ故内府の後を守り上げたき存念。  義經の微衷御諫察賜りたし。さりながら太后のつれなき御言葉臣が心を御憐み賜はれ。 あゝ此の上は熊野の天地を究めても維盛中將を得て止みなん今は太后の仰せのまゝよくヽヽ御念慮の程こそ願はしう。」 と 言々熱情の溢れ穏和にして勇を含み柔にして義あり仁あり。 

太后御心千々に碎けて寄せては返す仇波の寄るべは實にも此人ならんと思ひ給ひ共尚浮雲の危ふき心地し給ひて一門初め打ち絶えぬれば遺孤の子さへなく家臣はそむきて恩を思はぬに御身は敵の總大將なるに妾をかばかりに憐むは自らの誠とは思はれぬまた維盛は平家の嫡男族輩は共あれ人目多き維盛に恩を報じて宥さんは誠と思はれぬ二ツ又三ツには維盛を憫まんにも妾が御身に親んでのことに理に合はぬ此の三ツの事わけは何とや。

「御可笑し、太后にも似す世の女童の如き御仰せよな。 兄頼朝の兵を擧げし時往事の例に依り源平合せて王室守護に當らんと遙かに奏し奉りしに宗盛卿御惑ひ召されてか首肯せられず遂に今日の有様もとより臣等の意にあらず故小松公のもと宿怨なしと云はれし如く平家の後を絶たんにはあらず。 また小松公の後は云はずも維盛中將なれば臣等の故小松公の往に報ゆるも其の嫡男を措いて又誰を用ゆべき今太后に親みて請ひ奉るも臣が僞りなきを表す爲。 あゝ此の切なる心を太后の篤と知り給ふべき」

さるにても情なき義經心の狂ひ止め難く太后を打ち守りほゝ笑みければ太后御言葉なくつくヾヽ義經の姿を御見守り給ふに實に常磐御前(ときはごぜん)を得んに今日の汚辱また何れにかあらん死するに勝る者のありなん。 必ず死するに勝るべしと色々に思ひ續け給ひければ御心初めて動き悦として徐々に打寄り心の花も艶めきてお言葉云はんとすれども恥らい御黙頭き給ふもいぢらしい。

「義經かくまでに事をわけて言上するにさてヽヽ御了解なうてか。 御身の妾を思ふとは皆僞りぞ酒の上の戯れにて妾をからかひ猥事を笑草にもせんとそうなれば地下一族にも逢はそう顔もないものと、如何にしても疑ひのとけずば仰せの限りは何事によれ義經神明に誓ひを立てん」

太后此時笑を含まれやおら錦の御旗を取り出し給ひ宣ひけるは 「さらば此の日月の御印の上に御座召さるゝや若し云はれし事の一々當らずば必ず神罰加はらうぞい」 「ほう座するを汚れ水とする許りか布さきて蓐(しとね) とし具に太后を臥させ參らせて誓を立て申さう」

太后御聲ひそかに 「維盛は誠に幸いや妾も共に幸多きは何やらん」
櫻花春暖の朱唇笑を含み柳芽風柔にして美目眸を凝らす。 太后御面を背け左の御袖を掩ひ右手にて机上の打かけを撫で給ふ御風情の天の乙女の戀を知り假りに此の世に降り給ひしかとまがふ許りなり。 御知り給はねば此の様にしてと或は強く又柔かに御手を取り奉れば太后お顔を全く袖に隠し給ひて微かにそれに應じ給ふ。 義經氣に添へ斜に曳けば太后 嫋々(じょうじょう)と倒れんとして義經の膝に御身を寄せ給ふ。 女羅松柏(めらしょうはく)に堪え牽牛花の眞籬(まがき)に據れるに似てなごやかに雲髪香床しく錦袖らんヽヽ蘭麝の匂ひ漲りけり。 霞みて見ゆる山々は春の情に遠けれど花のほころび近付きて男女の縺(もつ)れ合ひ花にも似たる様なり。

九重深くたれこめし建禮門院太后も春逝く駒嘶 (いなな) きて情の絆みだれつゝ只在るとしもなく義經の膝にもたれて夢幻。 義經静かに御顔を合せ唇を接し奉れば太后僅かに舌の先を出し給ひしが御胸の動悸甚しく戰慄(ふるえおのの)きて果し給はずありければ義經何故ぞと問ひ奉るに太后御言葉もなかりけり殊更に乙女が何ぞの様に恥らいひて義經を弄び給ひ静かに口を開きて 「恥かしさに自ら慄へて詮なきものを。」  「然らば義經好きに計ふべし」と。

右の御手を腋(わき)の下より左の手を肩に御懸け申し義經も同じく左手もて太后の襟に右手を帯に挟み參らせて力を合せ抱き合ひけれど御戰慄治まらざれば尚別手にせんと義經右手を以て緋の御袴を觸き參らせ襯衣(シャツ)を折り返し腰衣(パンツ)を開きて手を差入れ奉れば指の頭僅かに御股の間に及びけり。 春草(オケケ)疎にして柔かなり太后御股を締め御奥を許さゞれば義經何故にさはし給ふぞと御身に囁きけるに太后堪え得ぬ様かすかに 「恥かしきまゝにヽヽヽヽヽヽヽ」 「はや斯く迄に及びしに恥らうては何時をか待つべき。 御許しなくばかくしてヽヽヽヽ」 と、 春草を抜きければ 「あら痛やな、怨みてこそ」 と。

太后は御膝を開き給ひければ、義經むずっと手を 優柔郷 (やさしどころ) に入れ奉れければ太后御心浮くばかりすこやかに氣をそゝる許りなり。 やがて中指もてゆるヽヽ静かにあまたたび 玉舌 (おんさね) を擦り 玉唇 (ふち) に及べば玉唇軟かなること凝脂にも似たりけり。

太后御身を縮め御顔を義經の胸にすり寄せ給ふ御耳の赤くして鶏冠にも似たり。 義經二本の指を用ひ玉唇を開き 衝球 (ぐりぐり) を突き奉れば太后御鼻息少しく高く御呼吸をはずませ御身を悶え給ひて堪え得ずやありけん。

抱き合ひたるまゝ御前に倒れたり。 太后仰臥し給ひ義經は斜めに御胸に乘り奉り尚も二指を 玉心 (なか) に入れ様々に術を盡して摩擦し奉れば太后額を顰(しか)め御左手を廻され義經の頸をしかと御抱へありて御聲を落し給ふて「あゝゝゝもう、指を止めて指をヽヽ堪えぬヽヽヽゝゝゝ先帝に侍べりてより今日迄人と身を交すこと無かりしに御身は妾を指にて弄び錦の御旗を欺むくよな。 あゝ指を止めてヽヽヽ」

やがて左手にて太后の御頸のほとりをもたげ御顔を合せ奉るに太后の御頸のほとり耳のほとり火の如く上氣召され御唇を吸ふ御舌は乾きて狂ほしげに義經の口に入れさせ給ひけり。
義經恐るゝゝ舌頭に上せ相吸ひ相噛むほどに太后御氣の熱し溶けんとして未だ全たからねば魂魄宇宙に恍惚として身の措く所を知らず御左手を擧げ義經にすがり付き御足を曲げかけ足の指を屈がめ給ふ。 義經ますゝゝ二本の指を強く或は軟かくねり掻き廻し又深く淺くゆるヽヽ玉心をくぢりなば太后御氣も絶えん許りにして太息あまた吐かせ給ひて御肩を集め御聲を擧げ叫び愼しさも恥らいも御忘れ給へば玉室綻び開き玉液外にどろヽヽしたゝり溢れけり。

呼々何事ぞ金閨に生れ給ひ萬乘の君に配し天下に母たる尊き座したるに御愁の眉を開かせ指の弄びにあまんぢ生れて此方不覺の純精を東國男子の掌中に漂はさんとは此時御年二十七壽永三年三月二十四日千鳥もねぶる春の宵とや都に遠き壇ノ浦花の風情浪の音皷と響く春心地。  義經しばし憩ひてほゝ笑めば太后は只死せるが如く御眼を閉ぢ口を開き手投げ出し足を投げ出し黒髪の御顔に亂るゝは糸柳の月影にしだるゝに似て紅裙の肌を露はすは花間の殘雪を斯くにも似たり義經やおら手を拭いて杯を把り酒を含み しづかに太后の御口に濺(そそぎ) まいらすれば太后もにこやかに義經を眺め半身を起され背を寄せかけ 煙草をすゝめなどし給へけり。

「かくまで妾を玩び給ひしが御心のほどなど覺束なう」  義經も聲を低くゝし 「實に可愛いのう」 と頬摺りければ太后唇を合せ給ひて「嬉しき程の御言葉 妾が身の爲にあやまらず實に此の舌こそ妾が仇なれや噛みおゝせて怨を報えんにヽヽヽほヽヽヽほヽヽヽ」

義經やゝ氣色ばみ古言にも七人の子を産むとも婦人に心を許さずとか御身も尚も義經を敵と見て計らんとな義經早や御身を擁し奉りたれば本懐に御座る死せよとあらば自裁せん只御心に從はんは身の望み打ち消されたる有様に太后打ち驚かれ怨し顔に流し目し給ひ 「御身なくば維盛の行く末も覺束かなや妾早や斯くなりしものを一言の戯言に不審を打たれしは妾を捨てん望みの剛も切れ果てし御身にこの身を委せしからは御身の計る術に生きんも詮なしせめて御手にて果てなば憾むも盡きなん」 と紅涙さめゝゝと義經の膝をうるほし給ひぬ。

義經その御背を撫でゝ慰め 「之れも戯言、深く御心に掛け給はぬ様」 と申聞け參らすれば太后いとお喜びの顔を上げ給ひ 「あら嬉しか誠と妾を愛しと思召してか。されば亦なぜ義經御身を愛着する様御身も妾を思はれてこそ誠と御身を思はれ様に斯く迄御身が妾を思ふ心に勝りて切なるものを。」

義經 「如何にして其の御心を知るべきや」 太后 「斯くこそ」 と太后義經の膝にもたれ給へば義經の心解け初め確かと抱き上げ給ひ舌を長ふしてお口を吸まゐらせれば太后も亦舌を長ふ報ひ給ひ送り迎へも數多たび密にも似たる御仲なり。 「豫が舌は悪しかりなん」 「妾が一身を盪す百種の珍味にも似てうましいざ長く妾に吸は給へ」  「されば尚味を添へて」 と。

義經は酒を含みて太后に吸は給へば太后も亦菓物などをこもゝゝ舌もて・・・ 献酘時を移す程に二人共顔も櫻の花散りて浮き心地云はん方なし 「夜もいと更けたれば篤くと誓言ふ承はらん。 御身は唯々錦の御旗の誓ひ氣にかゝるげな」  太后涼しき眼を斜に義經を打ち見やり給ひ膝を撮 (つま) み給えば義經は 「オゝ痛」 と取り立てゝ叫へば亦膝をさすりて 「妾空涙の持ち侍らめに君には妾を娼女の如くさもしき心にて見らるゝとはさても恨みぞゑ」  「はてさて打ち臥してお心の程を知らうに」 

金屏に燭火の輝き瓶花明らけく錦の御衣春暖かに柱香 (しゅこう) 薫したりければ三重のお褥 (しとね) 珊瑚のお枕、鴛鴦 (えんよう)の御むつみ楽しく玉の御櫛もていや散る髪の毛を納め給ふ。

取り亂し給える姿態の恥しと思い給ひてか紅粉の御手捌きは仇ならず 義經目を細ふして打ち見守るに御頸筋のいとも細き、御唇の紅がき水も滴るばかりの御風情なるに御うちかけを取り參らすれば襯衣 (はだぎ) は眞紅に燃え紫の御細腰にまつわりて紅競ひ御腰の優しきに似ず御身體の肥えやかなる柳の風に堪え盆上の蘭香ゆかしきにも似通えり。 既に打ち臥して義經帯を解きければ太后笑み給ひ自ら燈火をつみ無言の儘義經見やり給ふ。

海棠の露に撓む御風情いとも優しく義經の呼べとも應え給ず御袖を引くも打ち拂ひてすねさせ給えば義經呵々と打ち笑ひ立ちて錦御旗を取り再拝して誓を起てる。
『日月も吾等を照覧し給え我れに佳人を授く今佳人と誓い御旗を汚し奉らん誓ふ所違はずば永く天佑の加護を受けて永久に佳人と生しまん。 若し誓ひにそむかは神罰の我が身に受くるものなり。 その誓ひは佳人を安んじ維盛を救ひ子孫を授けて以て重盛卿ノ徳に報くゆるものなり。 願くは神之を饗 (う) けよ。』
 
嚴に誓ひ終りて旗を床の上に述べ打ち臥しければ太后も合掌し御拝ありて静に立ち衾 (ふすま)  を義經に掛け給ふ義經御手を取り引き寄せんとするに打ち笑まれつゝしばしの程待たれよ帯を解かん 『衾の内にて解かれよ』 と夜衾の内に入れまいらすれば太后しずヽヽと帯を解き給ふ義經手を偲ばせて乳に添えけるに太后其の手を取り給ひければ 『いざ給ひ』 と請ずれば太后御顔を掩はせ給ふ。

義經引き寄せ奉るに太后裸に御腰衣一ツにて義經の懐ろに寄り添ひ給へば義經確と抱き締め右の手を太后の肩と枕の間に敷き左の手にて太后の背をさすりまいらするに深園に養はれ禁閣に起臥し只身に接するは輕羅と龍體のみなれば風も侵す能はず寒暑も迫る能はず御肌の滑かなる事は玉にも比つへく義經御背より徐々に御臀へと撫で奉るに太后も御手を義經に掛けさせられ水も漏らすまじく相抱き顔を合せ口を吸い給ふ。

軟かき舌は静かに往き來し芙蓉の露の深くして満ち満つれば咽喉のかすかに鳴りてそゞろなり太后義經の舌をかみ 『夕刻言いし戯言の仕返し斯くせん』 と宣まへば義經指もて御腋の下を突きけるに太后サッと身を返し 『ホゝゝ』 と聲せられて頭を擡け燈火を吹き消さんとし給ふ義經静かに御口を吸ひ又もや枕を合はしまいらすに 『燈火明るければ恥しらはうて分けなきに』  『何んの恥しからう佳人を抱いて顔を見ずば育者の花を弄する類燈火消すこと無用』

太后御顔を夜具の内にうづめ給ひ恥ろうに義經言葉柔しく 『最しき仰せに從ひ義經は早や誓詞を立てたるにさて御身の誓詞とは』
『妾も共に神を拝したれば御身も知り給ふに』

御言葉の小さければ聞きもらしつ更に承らんとするに太后お顔をかくし言葉なければ義經頭を上げて、さらば誓ひを望み給はぬやと探ねけれは太后お聲低くゝ 『只御身のなす所に從はん。違はば神罰あらんこの上に爲すことあらは教てよ』 と宣ふ。

義經ほゝ笑み脚を延へて太后の股の間に挾み親指を玉唇に觸れまいらすれば太后にはかに手を拂ひ退け御手を引き寄せ己が 陽棍 (タリホ) に當てまいらすれば太后掌を開きて握り給はず義經更に誓詞に背き給ふやと申すに太后僅かに握り給ふその柔かなること萌芽の如く義經堪え得ず鼓を打つに太后御手を引き給ふ。

義經両手にて太后のお腰を引き締めまゐらすれば太后御身を鰕(ゑび)の如くかい召され御臀を義經の臍の下に接し然して少しつゝ退きて右手もて 輕 羅 (オコシノモノ) をかき上け左手にて玉唇を開き 紫 龍 (ネユ) をなかに進むるに太后お聲を呑み給ふや 玉 内 (オンナカ) 窄 (セマ) うして輾 (きし) りければ義經焦れて揺るヽヽ差入れ辛ふして半はしけるに太后あゝ痛しと宣ふ。  義經此の御年して尚痛しと宣ふにや笑止と申せば太后の屡々お聲を呑み給ふ。  義經太后のよく知り給はさるを察し一度紫龍を抜き取りて膝を立て手にて身體を支へ太后に跨かれは太后仰向にならせ給ひしより義經膝もて左右のお脚を開き両の股を太后のお股の内に集め静かに乘れは太后細き手を義經の背にからめ引き締め給ふ。  義經左の手を太后の頸にからみ右手にて玉口をなでれば太后は 『クヂり給ふや』 と問ひ給へば義經否 芳 沃 (シホ) を促す爲めにと答ふ。 やがて 双扉 (ソウフチ) を開き紫龍を口元に當てやゝ抜き差しする内に残すくまなく深く入りぬ。

太后堪えぬるに御聲を上げ 『あゝゝゝ』 義 『オゝ如何ニ』 太 『よいわいのう』 義 『今一入好うさせ申さんこの股を豫の腰にあげ其の踵を臀の上に上げさせられて ・・・ それそうして豫が上下につれ御身も腰を動かして ・・・ 』

義經右手もてお臀を抱き上げ・・・
『それ上げよア・・・』 『それ下げよア・・・』  義 『くぢり參らするとは如何に』 太 『くらべにはならずア ・・・ もウア ・・・』

二人の鼻息實に烈しく呼吸も又火の扇ぐに似たりけり。 屋形もる風の強からぬほど觸火のきらめき渡りて御枕の力さえ加はりぬればからヽヽと音するもながめなり。 玉の御肌は汗をも催されて雲となり香露は凝まりて雨しめやかに座山の夢も斯くや阿りなん。

義經この時二十六歳 鬼一深閨に舞鶴を蕩し青墓の後房に浮瑠璃を泣かしむる程の天の授けのまたなく奇しき術ありければ勢ひ元よりならびなく其の 陽 棍 (タリホ) の猛きは木にも石にも 假比 (タ ゝ) ふべしまして充分の酒氣を添へたれば其の熱さ火の如けん。

太后 義經に一つの姉なれば女子三十前後はまことの風味とこそ。 實にもこの上なく愛でさせ給ひし事なるらん。

太后 御年十九にして先帝に侍り給ひぬれば帝十五におはし給ひて何の好き術もなき給はざるに先帝御かよわく渡らせれ給ひしかば太后誠の風味をお覺え給はざりしも 宜 () へなる事どもなり。

今 義經の教草の一を聞けば二を知り給ひお腰の仕草も只に御上け下けのみならず高く廻し低く捻り自ら玉口の龜頭を皷く美き味ひをさとり稍ゝ(やゝ)巧みにあやなし義經に應し給ふ義經その敏きを愛で生來の鍛錬何くれとなく試み春磨六韜三略の秘傳を極めまゐらすれば太后お心空に・・・喚くが如く咽喉を鳴らせ給ひ頭を打ち振り高く乘り出で給ひ其の熱の悶へに堪え給はざるにや淺く玉心を擦り・・・深く 芳 心 (シキウ) 突きければ奥よりは熱き湯なす白精の溢れ出で春草に流れ深谷に漲り錦旗も漂はん許りなり。

太后は氣も滅する斗 (ばか) りに絶え入り給ひぬ。  義經 煙草をとり屡々薫らし太后の顔にそと吹きかくれば太后咳き合ひ給ひ紫龍飛び出でんとすればお股を締め給ひ確と抑え給ふに 義經 『如何にし給ふヤ』 と問ふ。
太后は御目を細く開き給ひて義經にすがり宣ひける 『おしみてもあまりありてよきに』 『でも怨みよな御身の心は妾篤と知り侍るにその秘め言も諸共に楽しまず只さけの上の戯れならずや御身は都にある静 (しづか)  と言ふ白柏子を愛するとか。 静は歌舞に巧みに情のあるものと聞けば妾及ばんもおろかなれど萬にも一つのお情けをうけたれど、もの足らす妾を悩ます御心ろはへ』

『御身の先ず楽しむは豫の楽しみなり眞心なうて何んのこの秘術が儘されようぞア・・・モウヽヽ堪えられう程も御座らぬ』

『されば一先づ氣を静めて更らに佳き術を給い倶に思ふまゝの氣を遺らうぞ此のよさははて忘れられぬあ・・・もうヽヽよいわのう妾生れて始めてこの佳き思いを知り多れば御身の戀しさいや増りたり。 あゝ女もよき男に逢はねばこのよき味を知らすして過きん今御身の情を受けし嬉しさ海山と思ふ』

太后は唯うわ言の如くそこはかとなく美ましからせ給ふ。 義經身を起して龍首の玉洞にはまれる状を眺むるに 太后 紅 羅 (オコシ) を掻き合せ給はんとす。
義經 勉めて開けは 『恥しければよされよ』 と宣ふ。 義經 聞かずして却って一指を 玉 唇 (ブ チ) に加へ 『お身細きを飽き足らず思はん』 と申しければ太后は両手を顔に掩い給ひける。

『アゝ痛や裂け様なるに、實にも帝を産み給ふ折りには難かりしとの妾はや御身の爲めに恥も捨てすへてを御身に委せたれば佳き事の教えて給ふ』  義經は言葉もなく右手にてお腰を左手に肩を堅く抱きまひらせ身を起し太后を抱き起し徐かに 趺座 (アクラ) して太后の臀を其の上にのせ臍を合せ股にて胯腰を抱き上くれは玉口尚も深く陽棍を含みて密なり。

義經手を延はして御襟衣を抑へ内よりはお尻を抱きまいらすれは太后も双手を義經の頸しがみ付き御頭を己が肩に枕らしお顔を斜めに義經の口につけ給ひ舌を長ふして往き返し給ふに陽棍は徐かに玉中に動き花心は横しまに龜頭を唇噛けり。

義 『やりにくやのう。その踵を褥につけて膝を曲けられよ。少し胯 (またぐら) を開きて尻を捻り呼吸を合せて操り給え』 太后云ふがまゝに試み給えば 去來 (ヌキサシ) 意のまゝにして只滿身のしびれるが如く。

義 『最早やゆきそうなれば酒を賜れよ、しばし忍び居て御身と共に楽まの程に』  太后御手を放ちて酒瓶を把り給ふ。  此の時陽棍少しく 玉 戸 (クサモト) を出てけれは義經素早く袂をさかして一粒の仙丹を取り出し徐かに龜頭に挟みてそのまゝ玉心に突き入れけり。  太后酒を含みて數多度び義經の口に濺き給ふ程に怪しくも玉心ほてり俄かにむつかゆく、こそばゆく言はん難なき御心地に覺えければ酒瓶を投け出し義經に力限りに抱き付き給ひ我を忘れて忙しく御腰尻を揺り動かし給へばかゆさ、こそばゆさいやが上にはびこりて揺り動す程にその心地よさに絶えられず太后覺えずお聲を上げ給ふ。

『ア・・・モうヽヽ如何しようぞ・・・絶えも入りなん・・・ア・・・行きそうな・・・ア・・・モウヽヽ早くヽヽ君も共にア・・・』
御聲自ら戰き歯切りして只狂い亂れ給ふ玉内火の如く熱く洞口頻りにジメヽヽしき音を立て棍龍熱に堪えでや融けも入らん如く二ツの背四ツの腕相擁し相緊め鼻息荒く相應し力限りに抱き合ひ太息する事五度六度唯すへてを忘れて絶え入りけり紫花己に散り芍く心の蕊 (ずい) 破れ來て宵待つ雨も滴り盡きぬ凌雲高く旋 (めぐ) りて梢にかゝり松の根の淺きにや相からみて共に倒るゝもおかし。

香籠の煙り絶えなんとして芳香も薄らき燈火の露も涸れければ影もおぼろに更くる夜や春風誘いて錦衣身に添はさる肌心地。
義經獨り眼覺め枕を求め窃かに目を開き太后にひたと身を合はされ太后の上にまたがり給ふ義經しげヽヾ太后を打ち見護り給ふに海棠の露の深うして花香を含み糸柳のそれにも似たる有様に唯わけもなく頬摺りせば春に紅なし頬の滑かにして重なれるお顎の肥やかに温きもよし。

義經そと唇を舐めれともお答えなく股を壓すも驚ろかせ給はず只藤の花のたるゝに似たりければ義經いとしさいや優りて楊棍とみに太く龜頭を上け玉穴を窺ふに玉唇まともに垂れ指もて開けば龜頭は伸ひやかに唇を穿つなり。太后尚も覺め給はされば義經手を延べて衾を引き寄せ其の上より被りけり此の折り龜頭の半ば差入りたれば太后初めて目覺め給ひ細き目をあけて微笑まれるにぞ義經尚術のあれば御踵を茲に集め敷きて臣が臀の下にと言へば太后言ふが儘にし給ふに 楊棍 全く子宮に達し太后我を忘れて 『ア・・・よく入りてぞ』 と宣ひ兎角する内いやが上にも佳くなりて義經にしがみ付き 『ア・・・モウヽヽ』 如何に之が飽き足やうぞホ・・・

両のお袖もて義經の顔を抱き緊くお口を吸い給ふ。 太后お口のねばるまゝに御手を述へて水を取らるれば乳房の義經の顔を擦するに義經乳首を舌にて押し甜りければ太后嬉しげに笑み給ふ。

義 『臣此の思過を辱ふす殊更に骨にしみて恐れあり』  太 『妾はや愛憐の得て心からに御身を戀しう思へは御身を君とも夫とも思ふに臣とて又妾を妻と見て共に楽しもう程に』

太后の存じも寄らぬ術に皆法あり。 先づ手の玩ひをさぐり言い其の次き尻を抱きしを逆縁臣上に乘りしを本馬、座して擁し奉るを茶臼、今のを天地泰と申す。 探り逆縁は客人を待ってなすを旨とし、本馬茶臼は夫婦の契りなれば親しみを専らにす。  天地泰こそ君臣の交りにて敬ふを旨とす。
されば是れ敬いてなす交りなりと申すに太后驚きて降りんとし給ひしに義經擁して横に臥せ枕をまゐらす。  楊棍尚深く入れば太后顔をしかめ給ひて、
タ 『之は何と申すや』 ヨ 『身も心も等しい形なれば正妻と交る横差しなり』  太后喜び給ふ事一方ならず義經又問いて、 ヨ 『六種の形の何れが佳きや』  太 『本馬と茶臼こそ』  斯くて相抱きひとしく唇を共に甜りたり。

太 『妾一度び妊みたれど氣もなう存せず今の御身との契りに比へて何の味いもなかりしにあゝ茶臼のよさは王子の宿らう程に若しも御胤の留まらは、それこそ世にも尊き者よ君に似なは天下の英智ホ・・・茶臼に皇子の留まらば更に皇女を留めてよあゝ』

山鳥の尾の長ばなしに舌も涸きて『酒よ・・・水・・・』『ホ・・・之れかよき』と義經に舌を交へければ互いに吸い合ふ聲しきりなり。

太后右の股を上げ膝を高ふして肩に及びければ胯 (またぐら) いと開きて義經にひたと寄り添ひて〆めまいらす。

ヨ 『先づ女の子を作らう程に・・・それヽヽ斯うしてア・・モウ行きそうナア・・・』  タ 『ア・・此のよさは死にそうな江・・モウヽヽア・君とヽヽ妾を殺して君の手もて死ねは本望よなあ・・・死ぬヽヽア・・モウヽヽ死にそうなおゝよいヽヽ身も心も熔けそうなア・・行くヽヽ』 ヨ『ソレ行くア・・フウヽヽ』  タ 『ア・・・モウ行くヽヽア・・・如何しようそ江ア・・フウヽヽ』
 
長閑けき春の野辺に白水のほとばしり溪間 (たにま) は暖にして尻は龜頭を縮めて春草に伏す牡丹の露の滴り盡して花ひら初めて閉ぢ金風止んで雨漸く収り枕辺の燭火も消えて夜は幽かなり。
               「 完 」

情話源氏物語 之内
 
壇 ノ 浦 之 巻
 
原本は 「。」 「、」 ナシ。 「」 『』 の遣い分けは原文通り。斜体ルビは原本通りなれど その他ルビは寫筆者による。
 

左ヱ門尉 乘輿ノアルトコロヲ知リテ;       義經は 主上の居られる塲所が判って・・・

上 燕 (じょうえん); さかもり・宴會、燕飲。 讌、に同じ。
伽凌頼迦 (かりょうらいか);  迦陵頻伽 (かりょうびんか) ではなきや、然れば 雅楽の舞曲。

迦陵頻迦;  佛教で極樂淨土にゐるという鳥の名。  その面は美女のようで、聲は極めて美しいと謂はれてゐる。
略して「迦陵頻」とも、また「頻迦鳥」とも謂う。  (昭和三十四年朝日新聞社刊 新・平家物語 第八巻付録から引用)

鈎 (かぎ); 鉤に同じ。
女羅松柏 (めらしょうはく);  女羅は つたかずら、松柏は 常緑、 「節」を守るの意ならん。
輕 羅; オコシノモノ、腰巻き。
衾 (ふすま);  薄い掛け布団。
判読不能文字; 
サンズイに困 (水準外字) コン → 涸 かわく・かれる
甜 テン あまい → 舐 ねぶる・なめとる。
剛 たけ → 綱 つな。
 
平成二十一年二月寫筆

(2009/02/28 初掲載)

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建禮門院徳子皇后が 囚われの身で 晩年を過ごした 京都・大原 清香山玉泉寺 寂光院

(平成二十一(2009)年九月十五日撮影、 2009/09/18 寫眞追加掲載)

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