中田整一著 『
両書を重ねて讀むと 日獨防共協定、日獨伊三國軍事同盟 締結の時代背景が判って 経緯が より鮮明になる。
元 NHK プロデュサー 畢生の力作である。
(2015/05/20 追記)
私の書評;
佐藤 優著 『私が最も尊敬する外交官』
ナチス・ドイツの崩壊を目撃した吉野文六 講談社 2014
購讀紙への 佐藤さんの追悼記事で この本の存在を知る。
早速 行きつけの書店に驅け込み檢索してもらうに、「お取り寄せです!」とのこと。
島森書店は 二週間を措かずに覗いてゐるので、最初から入荷しなかったものだと思う。
翌日から長の船旅をひかえてゐたので、松林堂、文教堂と廻ったが 孰れもお取り寄せ。
最近 足の遠のいてゐた たらば書房で書名を告げると、
むさぼるように通讀。
これは 佐藤さんの 最も尊敬する外務省の先輩に對する「
所謂 オーラル・ヒストリー型式で 佐藤さんの質問に 吉野さんが答へ、さらに これに解説を付け加へたもので 實に讀み應へのある 中身の濃い内容である。
質問事項を準備するのに、膨大な關聯資料・文献の檢索が必要であり、さらには それに解説を付け加へるには 實際の文章の五十倍、百倍する 關聯資料の讀み込みが必要であり、吉野さんへの尊敬と敬愛を込めての勞作である。
さて、筆者は 外務省の大先輩に對し手放しの賛辭を呈してゐるが、私は 同氏が 所謂「西山記者事件」の公判で行った證言は 明らかな『僞 證』であり、たとえ後日 眞實を告白しても、それは 本人が言ってゐる斯く;
『結局、私の署名なり、イニシャルのついた文書が、アメリカで發見されまして、これはおまえのサインじゃないか、イニシャルじゃないかと言われたら、肯定せざるを得ないという話です。』(はじめに P-04)
と謂う話だと思う。
若し吉野さんが 公判廷で「國家公務員ノ秘守義務」を楯に證言拒否・辭退をなさってをられたなら 完全無缺だったのにと殘念でなりません。
佐藤さんの筆は、陸軍中將・大島 浩駐獨逸大使に對し 當然の事として 辛辣かつ嚴しいものがあるが、一方 東郷茂徳外務大臣には同情的である。
佐藤さんと東郷家の親密な距離感のせいでせうか?
私は東郷外務大臣が
色々事情はあったにせよ 結果として蘇聯の思うが儘に
ちょっと 私の趣味である重箱の隅をつつかせてもらうと、日頃
おやっと思う氣掛かりな點が二、三ある。 近日 ご多忙のせいであらうか?
奥村勝藏書記官について;
ー奥村さんは、ワシントンで会われたとき、どんな方でしたか。 まだ二等書記官だったんですね。
吉野 二等書記官です。
とあり、二十世紀狐映畫「トラ・トラ・トラ」の中では 久米 明が演じてゐると、やけに詳しい。
關聯資料によると、十二月八日當日 一等書記官は 政務擔當の奥村勝藏が筆頭で、次席に 法務擔當の松平康東、三席が情報擔當の寺崎英成、應援出張の 結城司郎次と 四人の一等書記官の名前が記録されてをり、二等書記官はゐづ、商務書記官 井上豊次と
総務擔當の八木正男三等書記官が名を列ねてゐる。
あるいは、早朝の驛に吉野たちを車で出迎へた四月の時點では まだ二等書記官だったのであらうか?
野村吉三郎大使について;
ー野村大使は義足でしたよね。 一九三二年の上海で、天長節祝賀会の席で爆彈を投げられて。
吉野 義足で杖をついていましたね。 右目もやられて。
野村大使が 應援の來栖三郎大使とともに ハル國務長官と
一方、重光 葵外務大臣のミズリー艦上での映像は 夙に有名である。
昭和七年四月二十九日 上海
重光 葵在上海中華公使 右脚切断の重傷、第九師團長 植田謙吉陸軍中將(當時)が左脚切断の重傷、第三艦隊司令長官 野村吉三郎海軍中將(當時)右目損傷、他多數と記録されてゐる。
因みに 犯人 梅軒コト尹奉吉は上海派遣軍軍法會議にて死刑判決を受け、第九師團練兵場(金澤市)に聯行の上 銃殺刑。
巻末の獨逸語日記の翻譯は 文章拙劣であり 學生アルバイトの譯としか思へない。
「巨大なロックヘッド飛行機工場」は 「ロキード飛行機工塲」(Lockheed) の誤譯(P-355)であり、編輯子まかせで、ご多忙な 佐藤さんご自身は目を通しておられないらしい。
私の書架の中で一番多い佐藤本に 久方ぶりに新たな一冊を加へることを歡ぶ。
「私が最も尊敬する外交官」 ナチス・ドイツの崩壊を目撃した 吉野文六
佐藤 優著 講談社 2014年8月8日 第1刷發行
(2015/05/03 憲法記念日ノ初稿)
主要参考ならびに引用出典;
「臣下の大戰」 足立邦夫 新潮社 1995
「昭和史の謎を追う」(上) 秦 郁彦 文藝春秋社 1993
「幻の最後通牒」 実松 譲 五月書房 1995
「一青年外交官の太平洋戰爭」 藤山楢一 新潮社 1989
佐藤 優さんの新作。
プラハの
新潮社 二○一五年三月三○日
佐藤さんの バッキンガムシャー洲ビーコォーンズフィールドにある 英國陸軍語學學校留學日記。 久方ぶりの マサル節。
(2015/05/20 追記)
追記; この本を読んでゐて 聊か気になった。 本文の中で あれ程 親密さを唱ってゐた 武藤 顕クンの事を 「あとがき」で 「 ・・ 私は今後、武藤君と二度と言葉を交わすことはないであろう。 ・・・」
そこで、『國家の罠』 外務省のラスプーチンと呼ばれて 新潮社 2005 を再読してみた。
東郷さんを含めて、外務省の 先輩、同僚、後輩の実名を挙げて、時に痛切に批判、時に 皮肉混じりに書かれてゐるが、武藤クンの名前は どこにも見当たらない。
余程 心に深い傷を負わされたと謂うことでせう。 追記了