日米陸海軍暗號解讀史余話。

1. 帝國陸海軍が暗號の近代化に着手したのは大正の末年で、當時のポーランド駐在武官 岡部直三郎中佐(士候18、後 大將、北支那方面軍司令官、昭和二十一年 戰犯容疑で抑留中 上海で病死)の發案で、ソ連の傍受電信文をワルシャワの陸軍武官府に送りポーランドの専門家に見せたところ たちどころに解讀してみせたと謂はれてゐます。 驚いた參謀本部は 早速 ポーランド參謀本部から暗號の専門家ヤン・コワレフスキー大尉を招聘し 海軍軍令部にも聲を掛けて研究を始めたと謂はれてをります。
帝國陸海軍は暗號學 (Cryptology)の手ほどきを 長年帝政露西亞に痛めつけられてゐたポーランドから學ぶ事になったわけです。
その時 この件を主宰したのが 參謀本部露西亞班員 百武晴吉陸軍大尉(士候21、百武三郎、源吾両海軍大將實弟、暗號研究の爲 ポーランドへ留學、ハルピン特務機關長等を歴任)、後の Guadalcanal島で辛酸を舐めた 第十七軍軍司令官 百武晴吉中將です。
陸軍暗號の先驅者とも謂ふべき人が軍司令官であった事とも關係があるのか 餓島戰中は陸軍暗號は殆ど解讀されてをらず MacArthur司令部が陸軍暗號を讀める様になるのは New Guineaで「暗號書」「亂數表」を手に入れた昭和十九年以降だと謂はれてをります。
前線で使う陸軍の聨隊暗號は「部隊換字表」と「無限亂數表」の組合せですが 現役の通信兵は950語からなる換字表を総て丸暗記して 前線では使用しなかったと謂はれてをります。
戰線が擴大し 多數の補充兵が配屬される様になると そうも行かなくなってしまって 暗號書が敵手に渡る様になったようですが 一回限り使用の無限亂數表のお陰で 破られる事はなかったと謂はれてをります。

2. 陸軍の蘇聯暗號解讀が その後 どの様に推移したのかに就いては 寡聞にして承知してをりません。
陸軍は 中華民國國民政府軍の戰術暗號は 悉く解讀し 實際に作戰に活用してゐたと謂はれてをりますが その詳細を系統建てて分析研究した文獻を承知せず戰史の中に埋もれてしまってゐます。 察するに 野戰部隊、參謀本部、陸軍省、憲兵隊、特務機關と ばらばらに獨自にやってゐたのではないかと想像します。

3. 海軍では敵信解讀は 軍令部第四部の擔當で 東京帝大國文科、兵科豫備學生第二期出身の 阿川弘之海軍兵科豫備大尉(終戰時)が漢口の通信隊でやってゐた仕事が將に C班と呼ばれる 對支諜報班です。 英空母「輝煌」を「グローリヤス」(H.M.S Glorious)と誤譯して(正しくは Illustrious)上官に注意される話などを自著の中で紹介してをられます。 結局 傍受解讀出來たのは 戰術情報で 戰局を左右する様な 戰略情報、例へば蔣介石自身が參加したCairo會談やTeheran、Potsdam會議の内容等の情報を得てゐれば 終戰の三ヶ月前に 蘇聯に和平の仲介を依頼する様な醜態を演じる事はなかったのですが。

4. 對米敵信諜報は 軍令部第四部大和田通信隊A班の擔當で 阿川さん同様 豫備學生出身の士官が主役です。

殘念ながら 對米暗號解讀はAN系と呼ばれた強度の弱い「航空暗號」以外は出來てをりません。暗號解讀は出來なかったが 通信解析(Traffic Analysis)の手法は抜群で 米海軍は 帝國海軍の暗號解讀で 帝國海軍の敵情判斷の正確さに驚き  もしや 自分たちの暗號が解讀されてゐるのではないかと眞劍に疑い 終戰後いち早く 軍令部第四部と大和田通信隊を徹底的に搜索したと謂はれてゐます。 通信解析とは 發着信艦所、通信量、頻度、時間、通信文の長さ、通信狀況の變化 等から敵の出方を推理する 統計學を驅使した複雜な理論はあるのですが computorのなかった時代 最後は「勘」で判断するものです。
この通信解析の天才と謂はれた一人に 後に 東陽通商社長となる 兵科豫備學生第一期出身の 野村 長中尉(當時)がをり 昭和十九年十月 聨合艦隊司令部付として米艦隊の出現を豫測、聨合艦隊は なけなしの燃料を滿載して邀撃に出陣、空振りに終はった 世に「聨合艦隊の大散歩」と謂はれるepisodeがあります。 野村中尉の大チョンボと謂ふ事で片付けられてゐますが 私は 帝國海軍の動きを察知した米海軍が作戰變更した可能性を排除できないと考へてをります。

帝國海軍は何らかの手段で「暗號書」を手に入れたものを除き、米軍の暗號解讀には全くお手上げでしたが 唯一の例外とも謂へるものは「AN」系と呼ばれる航空暗號で これは正攻法で擔當の軍令部第四部が解讀してゐたと謂はれてゐます。 航空暗號の性質上 強度を上げる事が困難で米軍側も長期に使用すると破られる事を承知でAN101, AN102, AN103 ・・・と頻繁に變更してゐた様ですが 敵信班の大和田通信隊もtimelyに破って行ったと謂はれてゐます。
廣島に原爆を投下したEnoraGay、長崎のBoxCarは 何れも 戰略空軍第五○九混成飛行隊所属で 廣島に飛來する數日前からTinian周辺で不審な行動をするB-29として 大和田通信隊にmarkされてゐました。 原爆投下直後 廣島上空から打電した暗號無線から原爆搭載機のcall signが「5V625」である事、發進基地がTinianである事を探知、以後 徹底的に行動をmarkすると共に、海軍ではTinianへの逆襲を計劃してをります。

5. 米陸軍は歐洲戰線の歩兵、砲兵部隊の通信兵に多數のApache族、Comanche族のIndiansを配属してwalkie-talkieでの通信に從事させてをりました。 獨逸軍による英語會話傍受の防衞手段です。
米海軍は太平洋戰線で 所謂「VOICE」と呼ばれる無線電話には 例へば「This is Apache. Calling Comanche, over.」と謂うような隱語は使はれてゐたが 言語は基本的に英語のplainです。 それでも學校教育を受けた日本人には判別不能で 帝國陸海軍の通信諜報部隊は日系二世が主役でした。
因みに 特攻機を意味する隱語には「boggie」(又はbogey)が使はれてゐたと謂はれてゐます。

上述「5V625」のVOICEにはNavajo族の通信兵が乘り込みNavajo語でVOICEされてゐたそうです。 恐らく先行の氣象觀測機StreightFlush、同行の觀測機GreatArchistとの通信に使はれたものと思はれます。

6. 吉田 滿氏は『「戰艦大和」の最期』の中で「カリフォルニア」生まれで慶應義塾出身の「中谷邦夫中尉」の事を萬感の惟ひと同情を込めて記述されてをられますが、兵科豫備學生第四期出身の士官四名と 士官候補生二名が 第二艦隊司令部付として配屬されてゐた事はあまり知られてをりません。  これは 若き日にエール大學に語學研修生として學んだ 第二艦隊司令長官 伊藤整一中將が前職の 軍令部次長時代 その重要性を認識して育て上げた 大和田通信隊VOICE班の中から 特に優秀な者を選抜して出撃直前に配乘を命ぜられたものだと謂はれてをります。  その中で大和直掩の第二水雷戰隊旗艦「矢矧」乘艦を命ぜられたのが加洲フレズノ生まれの日系二世で明治大學米蹴球部でならした 倉本重明海軍兵科豫備少尉と アイダホ洲レックスバーグ生まれで 慶應義塾劍道部出身の 山田重夫海軍兵科豫備少尉の二名です。  第二水雷戰隊司令官古村啓藏少將も 少佐時代駐英海軍武官補佐官を歴任した知將で 敵性外國語として偏見の強かった時代、VOICE班の日系二世には大變理解があったと傳へられてをります。  配屬六名中五名はこの海戰で戰死。  鎭 魂。 (2001/06/06 追記)

7. 開戰直前、ワシントンの大使館と外務本省との間で「徳川君」とか「伊達君」とかの隱語を使って電話聯絡がされてゐた事は周知の通りです。

大戰中 ベルリンの大使館と霞ヶ關の間で「薩摩弁」を使った電話聯絡がされてゐます。 ベルリンの大使館と本省の間では 通常 九七式歐文印字機とかJ-19暗號 (何れも米諜報部に破られてゐた) とかを使って商業回線で流してゐたが この時期 しばしばmutilationを起こし緊急時に使用不能の事態が起こる。 たまたま大使館には鹿児島出身の曽木隆輝書記官がをり、同じく鹿児島出身の外務省調査局 牧秀司事務官との間で會話されたと謂ふもの。
案の定 米諜報部はこの會話を録音盤に採ったが判讀不能。  自分たちが歐洲戰線で Indian言語を使ってゐる事から その類だと推測してアジア各國人に檢證させたが意味不明。   最後に米本國に送り陸軍諜報部に勤務するサンフランシスコ生まれで 中學時代を父親の故郷鹿児島で過ごした日系二世に聴かせて薩摩辯である事が判明する。  しかも聲の主が この二世氏のかっての恩人 曽木氏であると謂ふ數奇な劇的ドラマを 吉村昭が 獨特の筆致で 「深海の使者」 の中で あつっぽく語ってゐます。

8. 本題から少しそれますが;

1) 現在の東チモール(ポルトガル領Timor)には第四十八師團(知將 土橋勇逸師團長)歩兵第四十七聨隊(大分)が駐屯してゐましたが濠洲Port Darwinからのguerrillaの潛入激しく苦戰の所、無線機と暗號書を鹵獲押収、 昭和十八年の中頃から終戰までguerrillaになりすまして 敵の作戰を攪亂すると共に parachuteによる糧食、彈藥の補給を受けてゐたと謂ふ信じ難い話が 「歩兵第四十七聨隊史」 に記録されてゐます。

2) 米國の情報公開法で得た 二万頁に亘るMagic情報の中から拾い出した話を基にNHKが十年程前に 「私は日本のスパイだった。」 と謂ふ番組(NHKスペッシアル)を放映してゐます。 情報部長などを歴任し 霞ヶ關切っての情報通と謂はれた須磨彌吉郎スペイン公使が 開戰直前にAlkasar de Velascoと謂ふ Spain人のprofessionalを使って全米要所にスパイ網を作るのですが、九七式歐文印字機を使ったと思はれるMadridの公使館から霞ヶ關宛の暗号電信(【TO】情報と呼ばれる。当初「盗」のつもりで名付けたが 後に「東情報」と改名してゐる。)が破られて米諜報機關にスパイ網の存在を探知され極秘裏にagentsが消されてスパイ網が潰滅する話です。 映像では田村幸久電信官が登塲したり 何よりも死の病床にあった 當時の三浦文夫一等書記官が 息も絶へ絶へ 『誰にも話さず秘密にしてをくつもりだったが。』 と言って Velascoの名前を告白しVelasco本人を探し出して證言させると謂ふ 超弩迫力あるdocumentaryです。

3) 外資系の會社での社内研修で、社外重役である Robert M. Gates 元CIA長官が「A Tour of the World」と題する講演の中で;  「We found out through intelligence means that・・・」とCIAが 某國で日本商社が日本製の電話交換機を賣り込んでゐる話を探知、周辺を調査して通商代表部に情報を流し當時の国務長官James Bakerからその國の大統領に直接壓力をかけて話をひっくり返したと 得々と話してゐました。

橋本龍太郎が通産大臣時代 Micky Kanterとの自動車交渉で 霞ヶ關と在米大使館との電信がCIAから通商代表部に筒抜だったと謂ふ話をWashington Postがスッパ抜き 日本の新聞にも報道されてゐましたが、あまり 興味も關心もないのか 單なる報道記事で追跡報道もありませんでしたが Bob Gatesの話から さもありなんと考へます。

何だか 未だにアメリカにすっかり監視されてゐる様で 日本人の「機密」に對する危機管理意識の欠如に慄然とします。

(追記) この話の信憑性は 最近の産經新聞聨載「エシュロン大研究」にみられる様に政府機關だけにとどまらづ民間も含めて 電話 TELEX FAX MAIL 総ての通信手段が NSA、CIA等の諜報機關によって盗聽檢索されてゐる事を窺はせる。

田中眞紀子、唐 家 両外務大臣による電話會談も當然 盗聽の對象になったと考へられ 眞紀子女史も一本言質をとられたのではなからうか。  日中北鮮で echelon 組みますか、それとも 日臺韓 でいきますか。 (2001/06/01 追記)

主要參考文獻;
「情報士官の回想」 中牟田研市 ダイヤモンド社
「開戰前夜」 兒島 襄 集英社
「新高山登レ一二○八」 宮内寒彌 六興出版
「春の城」 阿川弘之  新潮社
「暗い波濤」 阿川弘之  新潮社
「昭和史の謎を追う」 秦 郁彦  文藝春秋社
「深海の使者」 吉村 昭  文藝春秋社
「郷土部隊奮戰史」 平松鷹史 大分合同新聞社
「『戰艦大和』の最期」 吉田 滿 戰爭文學全集 毎日新聞社
「帝國海軍士官になった日系二世」 立花 讓 築地書館

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