傍受された「ニイタカヤマノボレ一二○八」
Intercepted code message"Climb Mt. NIITAKA 1208"

This article tells how the code message of "Climb Mt. NIITAKA" was flashed out by the Great Imperial Navy of Japan, and how was intercepted by the American intelligence. The message was to specify the date for the opening hostilities against the United States, the Great Britain and the Kingdom of the Netherlands in December,1941.

日本側發信經緯:

昭和十六年十二月一日午後二時五分から宮中「東一ノ間」で開かれた御前會議の決定に基づき發せられた軍令部総長から聨合艦隊司令長官宛封書命令『大海令第十二號』指定開封時刻 021500(十二月二日午後三時)。
聨合艦隊からの通信文は;
     「緊急信」「發信番號二十四」
     「GF機密第六七六番電 二日一五○○
      GF電令作第一○號
      發令日時 十二月二日一七三○
      本文『新高山登レ一二○八』
                      (終)」

指定開封時刻には山本五十六聨合艦隊司令長官は東京出張中で不在。 代はって宇垣 纏參謀長が開封の上、柱島の聨合艦隊旗艦「長門」から 021849 近距離艦處用 267 kcs の長波で送信、受信した呉通信隊は有線で東京海軍通信隊宛轉電、東京海軍通信隊は直通回線で船橋行田無線塔から東通第一放送 4175、8350、16700 kcs の三つの波長を使って午後八時に放送を開始したもの。  一般放送系ではあるが 呼出符號「セツ七」で着信者は特定されてゐる。
潜水艦に對しては 東京海軍通信隊の管制下で 依佐美送信所(愛知縣刈谷市)から 17.44 kcs の超長波で送信されてゐる。
   使用暗號書は「海軍暗號書D」「一般亂數表第七號」【Dラ七】

寫眞左; 聨合艦隊旗艦「長門」からの無線電信を當時の呉海軍通信隊暗號電報飜譯淨書係 谷本三次上等兵曹が三部複寫淨書
したもので、その内一部が昭和四十四年に電信部作戰通信係 中村文治兵曹長から防衞研修所戰史室に寄贈されたもの。 
「一二○八」に丸印が符され「整理番號425」【電波 267 kc】と記載されてゐる。 (防衞廳防衞研究所藏)
寫眞右; 中繼した東京海軍通信隊の發信記録。 「整理番號424」【電波 4175 kc】と明記されてゐる。 但し「a postwar re-
construction」だとの説もあり詳細は不明な部分がある。

米諜報機關傍受經緯:

  米國立公文書館(NATIONAL ARCHIVES)
                    SRN Series #115376

シアトル郊外Puget Sound、Bainbridge島にある米海軍の巨大アンテナで日本時間12/022100(十二月二日午後九時)傍受、直通回線でワシントンの 海軍通信部OP-20-G (Code and Signal Section, Station NEGAT)に轉送されたもの。 着信者は十一月二十四日(11/242300)同じ周波數で豫め指名されてをり(左半分)OP-20-Gでは「新高山登レ」の意味が判らなくても 着信者の廣がりと「一二○八」から『12月8日開戰』と謂ふ判斷は出來た。
發信電文は「新高山登レ一二○八 繰返ス 一二○八」であった事が判る。 呉通信隊の記録には「一二○八」に【。】しるしが付されてをり これが「繰り返し」を意味したものと考へられる。
米海軍の記録には放送電波は繰り返し放送されたと記述されたをり 午後九時定時放送のものが傍受されたものと考へられる。
米軍側の傍受記録では受信電波は「4155 kcs」と記録されてゐるが 當時の日本側機材の性能から 想定出來る誤差範囲であり 日本側が「4175 kcs」で發信したものが 米軍側の測定で「4155 kcs」と記録されたものと考へられる。

電文から 呼出符丁「マス零」 發信艦處「ハフ六」(東京海軍通信隊)、暗號本文の中に組込まれた 『發「ヨヰ零零」(聨合艦隊司令長官) 着信者「セツ七」』が讀み取れる。 「セツ七」とは 機動部隊、先遣部隊、南方部隊、南洋部隊、北方部隊の各艦隊司令長官 ならびに その麾下戰隊司令官だと思量される。

着信者名に 十一月五日調印の「南方作戰陸海軍中央協定」第二十六款「作戰名稱ヲ左ノ如ク定ム」の名稱が その儘使はれてをり、英國諜報機關から齎された情報にもとづくものと思はれるが いつの時點での情報かは定かでない。

中央協定呼稱 英米諜報部呼稱
馬來作戰 E作戰 E (British Malay) Force
蘭領印度作戰 H作戰 H (Dutch Indies) Force
比律賓作戰 M作戰 M (Philippine) Force
瓦無作戰 G作戰 G (Guam) Occupation Force

陸軍では豫め 十二月一日「ヒロシマ」、二日「フクオカ」、三日「ミヤザキ」、四日「ヨコハマ」、五日「コクラ」・・・・と隱語が組まれ 同じ電文を「ヒノデハヤマガタ」として それを陸軍暗號に組んで發信されてゐる。 暗號電信で數字の反復は嚴禁で この点は陸軍の方が賢明であったと謂へる。

Combined Fleet Serial #10.
Climb NIITAKAYAMA 1208, repeat 1208
Comments; Interpreted freely, above means "Attack on 8 December"
Explanation; This was undoubtedly the prearranged signal for specifying the date for opening hostilities.
However, the significance of the phrase is interesting in that it is so appropriately used in this connection.
NIITAKAYAMA is the highest mountain in the Japanese Empire.
To climb NIITAKAYAMA is to accomplish one of the greatest feats.
In other words undertake the task (of carrying out assigned opertations).
1208 signifies twelfth month, 8th day, Item time.

この有名な電報の前に「聨合艦隊電令作第五號 十一月二十一日○○○○第二開戰準備ヲナセ。」が「冨士山登レ一一二一」と謂ふ電文で全艦隊宛發信されてゐる。  第二開戰準備とは 攻略部隊への作戰發起地點への進出命令。

筆者注記;
1.  1AF 8S 藤田菊一首席參謀(中佐 兵50)の日誌十二月二日(火)「二○○○待チニ待ッテイタ十二月八日午前零時以降
戰鬪行動ヲ開始スベシノGF命令ヲ受信」の記述があり 東京通信隊は 十二月二日午後八時に放送を開始した事が裏付けられる。
又 旗艦「赤城」の通信支援艦「霧島」の暗號士 三阪儀一少尉の戰後の證言で「赤城」が直接受信解讀した事が確認されてゐる。

2.  KF は022008馬來部隊電令作第二○號「X日ヲ十二月八日ト發令セラル。 各部隊ハ豫定ニ基キ行動スベシ」を發令してゐる。
東京通信隊の放送開始時刻を裏付ける。

3.  6F旗艦「香取」は十二月二日トラック島發航 洋上でGF電を受信。 航海中の電波輻射を避けて五日午後クエゼリン入港の後
前記6F作戰特別緊急信を發令したものと考へられる。

4.  米海軍の傍受塲所、時間から一般放送系 4175 kcsで發信されたものが受信されたものだと考へられるが、傍受記録では
4155 kcsと記録されてゐる。 當時の日本側通信機器の精度、信頼性から 1% 以内の誤差は常識の範囲だと謂はれてをり、日本側で
4175 kcsで發信したものが 米軍側の測定で 4155 kcsと記録されたものだと考へられる。

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